長崎県美術館で「東京富士美術館所蔵-大江戸展」が2018年3月24日~5月27日に開催|風神雷神図(鈴木基一)、東海道五十三次(歌川広重)、富嶽三十六景(葛飾北斎)をこの目で見れるチャンス!


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■長崎県美術館で「東京富士美術館所蔵-大江戸展」が2018年3月24日~5月27日に開催|風神雷神図(鈴木基一)、東海道五十三次(歌川広重)、富嶽三十六景(葛飾北斎)をこの目で見れるチャンス!

by hakuraidou (長崎県美術館で撮影)

長崎県美術館で「東京富士美術館所蔵-大江戸展」が2018年3月24日~5月27日に開催されています。

東京富士美術館所蔵-大江戸展」によれば、今回の展示は東京富士美術館の所蔵品によるもので、浮世絵を中心に屏風、襖絵、工芸品など名品の数々約110点を前期約70点、後期約80点に分けて展示されるそうです。

参考画像:「酒井抱一と江戸琳派の全貌」より

ポイントは2つ!

1.琳派の傑作「風神雷神図」が九州初公開!

今回、琳派4大絵師の一人で鈴木抱一の弟子でもある鈴木其一が描いた襖絵を特別出展されるそうです。

参考画像:「酒井抱一と江戸琳派の全貌」より

酒井抱一と江戸琳派の全貌

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2.教科書で見た作品がこの目で見れる!

洛中洛外図屏風(狩野派)、東海道五十三次(歌川広重)、富嶽三十六景(葛飾北斎)といった作品名は覚えていなくても教科書やテレビで一度は目にした記憶がある作品が屏風、襖絵、浮世絵、工芸品をこの目で見ることができます。




アートはなぜ価値が高いのか?|なぜバスキアの作品は高額で落札されたのか?

ZOZOTOWN(ゾゾタウン)を運営するスタートトゥデイ代表前澤友作さんがジャン・ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の作品を約62億と約123億で落札したというニュースを聞いたことがある人も多いと思います。

【参考リンク】

ただ、ふと疑問に思った人もいるのではないでしょうか、なぜバスキアの作品はこんなに高額なのだろうか?、と。

堀江貴文さんがこの疑問をチームラボ代表の猪子さんがぶつけて解説をしてくれています。

【対談】堀江貴文×チームラボ代表・猪子寿之が語る「アートが変える未来」

(2017/8/29、スタディサプリ進路)

猪子:結局世紀を語る時に、大量消費社会がきて、マスメディアが出てきて、人類の価値観がどう変わっていったかをちゃんと説明しようと思ったら、ウォーホル抜きには説明できないんですよ。現代の工業製品をニュートン抜きには語れないのと同じように。

<中略>

猪子:ウォーホルにとって、バスキアは影響の大きな人物だったんです。共同制作もしていました。ウォーホルのある時代を説明するには、バスキアも外せないわけです。

産業革命が起き、物を大量生産できるようになり、いいものを安く手に入れられるようになりました。

アンディ・ウォーホルが出てきたことによって、「みんなが知っているものがかっこいい」という概念が生まれ、それ以降ラグジュアリーブランドが生まれ、巨大な産業が生まれていきました。

歴史において、ウォーホル抜きでは美の価値観が変わったことを説明することができず、また、すでに亡くなっているため作品が増えることがないので、価値が下がることはないそうです。

バスキアはそのウォーホルにとって影響力のある人物であり、ウォーホルを語るうえで欠かせない人物でもあるため、バスキアの作品は高額で取引されているのだそうです。

■近代以前の日本の作品に関心をもった理由

アートには興味があったのですが、これまで日本の作品にはそれほど興味を持てませんでした。

海外のものがかっこいいというような固定観念があったのでしょうね。

しかし、チームラボの猪子寿之さんのインタビューやチームラボの作品を通じて、近代以前の日本の作品に関心が出てくるようになりました。

チームラボ猪子が解説、長年の研究でわかった江戸琳派の大発明

(2016/9/23、CINRA)

猪子:遠近法とは違った空間認識の論理構造が発達してたということです。どういうことかというと、身体的には人間の目って、自分たちが思っている以上にフォーカスできる範囲が狭くて浅いんですよ。例えば顔の前にぴっと人差し指を出したとすると、その後ろの顔はぼやけて見えづらくなりますよね?

指を見ると、他はまったく見えなくなってしまうくらい。肉体的な目の脆弱さを人間は瞬間的に脳で補って、まるで周りもちゃんと見えているかのような整合性のある空間を再構築してしまうことです。その再構築する論理構造が西洋と当時の日本は違ったと思っているということです。

西洋の人が遠近法の概念でモノを見ていたのに対して、輸入される前の日本では日本絵画に描かれたような平面的な空間性が当たり前のものとして共有されていたのではないかというのが猪子さんの解説であり、こうした考え方からチームラボの超主観空間という考え方が生まれたのではないでしょうか。

Flower and Corpse City and Noble

むかしの日本の人々にとって、自然とは観察の対象ではなく「我々自身も、自然の一部である」と考えているようなふるまいをしていた。
それは、何かの考えや思想によって、自然の一部であるようなふるまいをしたのではなく、単に、むかしの日本の人々は、自分が見えている世界の中にいるモノたちになりきったり、自分が見えている世界の中に自分がいるような感覚を感じやすかったから、そうしたのではないかと思うのだ。つまり「超主観空間」で世界を見ていたから、自分と世界との境界がないような感覚になりやすく、そのようなふるまいになったのではないだろうかと考えている。

西洋の遠近法や写真のように世界を見ているならば、自分と、自分が見えている世界が完全に切り分かれ、はっきりとした境界ができ、自分が見えている世界に自分は存在できません。つまり、世界は、観察の対象となる。だからこそ西洋では、サイエンスが発展したのかもしれない。

超主観空間の考え方は「我々自身も、自然の一部である」というものであり、世界は観察する対象ではなく、自分と世界との境界はないと考えているそうです。

また、その他にも、猪子さんのインタビューでは興味深いことが語られています。

猪子:かなり特殊な見方を僕はしていると思うのですが、琳派っていうのはフレームの概念を持たずに成り立つ絵画表現を発明した集団なんですよ。

写真や西洋絵画、映画のスクリーンといった平面表現というのはフレームがあり、フレームから絵の構図が決められるものですが、鈴木其一の『朝顔図屏風』のような六曲一双(六枚に折り畳める屏風を左右1セットにした形式)の作品を見ると、まるで上にも下にも、右にも左にも無限に広げていくことができるフレームにとらわれない作り方をしているようです。

猪子:でも、其一の『夏秋渓流図屏風』などもそうですが、日本の空間認識に基づいて平面化したものには中心がないから、鑑賞者の視点は固定されないですよね。一点の中心を持たない表現や空間は、複数人が同時に絵と接点を持てるという可能性をもたらすわけです。

其一含め、日本の絵巻物や屏風絵にはその要素があるけれど、僕の知る限り、西洋美術にはそれがない。鑑賞者の立ち位置、鑑賞者がそれをどこから見るかということが拘束される。

そういった拘束性の強い世界の見方が、美術の様式、建築の様式まで決定していくし、もっと言えば社会を規定する法体系をも決定していく。でも、それは僕にとってかなり不自由なことなんですよ。だって、誰だって自由でありたいでしょう?

言われてみると、遠近法というのは鑑賞者の視点を固定してしまうものですが、日本の絵巻物や屏風は鑑賞者の視点を固定しないものです。

こうした考え方などを参考に、「アップデート・シティ(更新都市)」|既存の言葉・価値観をアップデートし、シームレス・インタラクティブ・非言語のレイヤーを重ねるという記事を書くことにつながったのですが、やはりそのもととなる作品を一度この目で見てみたいですよね。

ですから、もし「大江戸展」に関心がある人はぜひ見てほしいです。