by Premnath Thirumalaisamy(画像:Creative Commons)
「コンテンツの無料と有料とどちらが面白いの?」というのがネット上で話題になっていますが、このことについて考えてみました。
●無料だからこそ広まるものがある。
誰にも知られていない著者はそれがきっかけになることもあるし、読む側は無料だからこそ共有したくなるものがあるだろう。
●無料でしか書けないものもある。
著者自身が自身のプライドでこの文章ではお金をとれないというものもあるだろう。
遊びでコンテンツを作る人はそもそもお金というものを入れたくないだろう。
「自分の中に毒を持て」(著:岡本太郎)
遊ぶなら遊べば良い。無目的の、無償の行為は素晴らしい。ちょうど子どもたちが、大人がハラハラするような遊びを喜々として楽しんでやっているように。
それは遊びというものが人間にとって自然な本能だからである。人間は本質的に、ホモ・ルーデンスなのだから。
●有料だからこそ広まるものがある。
有名な人はファンがいて、その人の文章・生き方を知りたい人がいる。
●有料でしか書けないものもある。
お金をとるということは、その金を払う人しかこないわけだから、本当に読みたいという人に伝わるのではないかという著者の期待がある。
つまり、無料や有料なんてそれぞれの役割があるわけであって、それでいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えていたら、岡本太郎さんがこういっていたことを思い出しました。
そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。
軽く素直に動けば良いということだ。
P.S.
コンテンツは面白くなければ、そもそも無料や有料の論議をするまでもなくなってしまう。
もっと遊ぶことが必要なのかもね。
(2015/9/23、Feely)
遊びに理由なんてないんだよ。
遊びがわかってないね、まずは一生懸命暮らすこと。
お金がないから遊べないんじゃなくて遊ぼうとしないから遊べないんだ。
遊びとは一生懸命暮らすこと。
みんな一生懸命仕事をしてるけど、一生懸命遊んでない(暮らしていない)のかもしれない。
椎名林檎さんと亀田誠治さんの対談でこういっていたのを思い出す。
インスピレーションは生活・人としての暮らしに尽きる。
暮らしの中にインスピレーションがあり、良く生きることが良いものを作り出す秘訣なんじゃないかなと。