by US Coast Guard Academy(画像:Creative Commons)
巨大アート「DMM.PLANETS」と、境界線が曖昧になっていく時代と、VR
(2016/7/24、note|けんすう)
アート作品なので、何を感じるのか、というのは人によって違うと思いますし、作者の意図は違うところにあると思いますが、僕が強烈に感じたのはこの作品では、「自分と他者との境界線がなくなっていく」ということを表現しているのではないか?というところです。
「自分と他者との境界線をなくす」というアイデアをもとにいろんな人が動いているのを感じています。
「INTERNET OF BODY」|私たちの身体はインターネット化する!?で紹介したH2Lの岩崎 健一郎さん、玉城 絵美さん(東京大学大学院では暦本純一研究室に所属していた)によれば、私たちの体は「共有されるもの」になり、インターネット化し、身体の境界線がなくなっていくという未来を予想しています。
『世界から「重力、ゲート、繋ぎ目」はなくなる。』について考えてみたで紹介した落合陽一さんの考えを自分なりに考えると、つなぎ目や境界線をなくそうというように考えているように思います。
チームラボの猪子寿之さんは「境界のない群蝶」という作品を作っています。
#アナザースカイ #猪子寿之
境界のない群蝶https://t.co/IvzkqixeP2https://t.co/0ETxeqMnOW
人から違う考えをもらうと、今まで持っていた考えと影響しあう。本来の考えは境界がないものなのに物で表現をしてしまうと境界ができてしまう。— hakuraidou (@hakuraidou) 2016年5月7日
Flutter of Butterflies Beyond Borders / 境界のない群蝶
『群蝶図』。この群蝶は、羽の模様を変容させながら空間の中を舞う。また、同じ空間に展示された他の作品の中も舞う。他のインスタレーション作品の空間の中も、他のディスプレイの作品の中もシームレスに飛ぶことによって、作品のフレームという概念を解き放ち、作品間の境界をなくし、あいまいにしていく。
【アナザースカイ】猪子寿之|アートとは、世界の見え方を変えたり、人類の価値観を変えることでチームラボの猪子寿之さんは、アナザースカイという番組で、「集団的創造」「共創」という考え方を紹介していました。
いろんな専門性がある人たちと一緒に何かをつくっていくことが重要になっていく。
共創する場所に身を置くことでクリエイティブになれたし、他の人にも共創によって変わる体験をしてほしい。
個人個人の境界を無くすことが、これからのクリエイティブにとって大事なことなのかもしれません。
ただ、「創発」という視点から考えると、もしかすると、そもそも個人と他者という境界線はないのかもしれません。
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「鈴木さんにもわかるネットの未来」(著:川上量生)
小さな部分では存在しない性質が大きな全体では出現する現象を、創発といいます。たとえば”水”には圧力や温度といった概念が存在しますが、水をつくっている水の分子ひとつずつを観察しても、そこには圧力や温度は存在しません。圧力や温度は、水分子が大量に集まった時に出現する性質だからです。個々がバラバラに動く自律分散システムは全体として一定の秩序を生み出しますが、この創発として生み出された秩序が、知性があるかのように何らかの仕事をすることがあるのです。
肝臓の細胞は100個集まっても組織的に働かないが、1000個集まれば肝臓の役割を発揮する|東大の研究グループが解明によれば、肝臓の細胞は100個集まっても働かないそうですが、1000個集まれば肝臓の役割を発揮するそうですが、人間における知性や創造も、実は創発の考え方のように、小さな部分では存在しない知性が大きな全体では出現することもあるという期待があります。
私自身はそのように考えている一方で、実は意見を共有することで集団の知性は損なわれるという研究もあり、この考えに自信が持てません。
意見共有で「集合知」が低下:研究結果で紹介したスイスのチューリッヒ工科大学の研究者によれば、集団は最初のうちは『賢い』のですが、他者の推測など社会的影響があると、意見の多様性が狭まり、集合知が低下するのだそうです。
Jan Lorenz氏によれば、集合知が発揮されるためには、集団の各構成員は多様な意見をもち、また、それらの意見には個人個人が自力で到達する必要があるそうです。
「世論調査やマスメディアは、情報のフィードバックを大きく促進し、そのことが、事実に対するわれわれの判断を狭い範囲に絞り込む」と研究チームは記している。
マスメディアやインターネットが生まれたことによって、情報のフィードバックを大きく促進しています。
「つながりすぎた世界 インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか」(著:ウィリアム・H・ダビドウ)によれば、インターネットは意見を先鋭化すると考えられるようです。
今日では多くの人々がインターネットを介してコミュニケーションしており、そのことが思考感染の温床となっている。もちろんインターネットの常で、考え方は二分されている。インターネットはさまざまな考えを広めることで意見の多様性を実感させるという人々もいれば、意見を二極化するとの意見もある。いずれにも一理あると思うが、個人的にはやはりネットは意見を先鋭化するのではないかという考え方に傾いている。
「自分と他者との境界線がなくなっていく」という考え方が、人類を一歩前に進めるのか、それとも後退させてしまうのかは、これからの自分たちの生き方次第といえそうです。
■まとめ
視野を狭く考えると、私たちは一人一人の個人としての個性に違いがあり、自分にしかできない人生を送っていると感じているはずです。
しかし、少し視野を広げてみると、ほとんどの人が、生まれて、学校に通って、仕事をして、結婚をして、子供を育てて、そして死んでいくというステレオタイプの、実に個性のない生き方をしているともいえるのではないでしょうか。
自分と他者を隔てる境界線とはそもそもないのかもしれません。
P.S.
人と関わりあうことで自分の心にたまった澱のようなものに気づくことができる
人と関わり合いを持つことは、今まで持っていた考えに影響を与えるだけでなく、その考えの本来の目的のようなものに気づくこともあり、実はそのこと自体が最も重要なのかもしれない。