「添加物は味覚を壊す」派とリュウジ氏「科学的根拠がない」派、このテーマこそが私の街が存在する理由そのもの




現在このブログを新たに作り直している中で、X(SNS)でわかりやすい題材があったので、引用させてもらいました。

これこそが私の街が存在する理由そのものなんです。

この3つの投稿のそれぞれの立場を整理します。

1)「添加物は味覚を壊す」派

実体験ベース

現場(飲食店・家庭)からの観察

危機感が強い

ただし言葉が強く、一般化しすぎている

👉 体験が先、理屈が後

2)「科学的根拠がない」派

エビデンス重視

一般化・再現性を重視

デマや不安煽りを警戒

ただし相手を切り捨てる言葉遣い

👉 理屈が先、体験を軽視

3)「自分の身体で確かに起きた」派

科学も理解している

無添加も化学調味料も両方通った

一般化はしない

「自分にはこうだった」と線を引いている

👉 私の街の住民タイプ

問題は「どれが正しいか」ではない

Xでは、どうしても

正しい or 間違っている

嘘 or 本当

科学 or 迷信

に落とし込まれます。

でも、私がこのブログでやろうとしていることは、

「判断は家庭に帰属する」
「体験とデータは対立しない」

ということであり、まさに、今回の衝突点そのもの。

なぜXでは荒れるのか

これは媒体の構造の問題です。

文字数が短い

文脈が切り捨てられる

断定が伸びる

怒りが拡散される

つまり、

「途中の思考」が置けない場所

私の街(ブログ)がやろうとしているのは、その逆。

私のブログが今やろうとしていること(今回の話を当てはめると)

もしこのテーマを「街」で扱うなら、こうなります。

論文・科学的知見
→ 味覚障害の定義、化学調味料の安全性、疫学的データ

現場の体験
→ 味が濃くないと満足できなくなった人
→ 戻したら体重が落ちた人
→ 何も変わらなかった人

家庭での判断
→ 量・頻度・年齢・生活背景

これ(判断材料)を同じテーブルに並べる。

誰かを殴らない。
誰かを黙らせない。
そして「あなたはどうだった?」と問いを残し考えてもらう。

なぜ私は「答えを性急に出しすぎ」と感じたのか

それは、断定が持つ危うさを感じたからです。

体験を一般化したものと科学を盾にしたもの、どちらも正義の形をしている。

だから衝突が起きる。

このテーマ、私の街で扱うなら

たとえば、切り口はこんな風になるのではないでしょうか?

●味覚が壊れるとは何を指しているのか?

添加物そのものが直接的に味細胞を破壊するわけではないですが、脳や舌の「味の感じ方」を麻痺させてしまう可能性ならありそう。

1. 「旨味のブースト」による味覚の麻痺
2. 亜鉛不足と添加物の関係
3. 「濃い味=満足感」という依存性

これが結論ではなく、判断材料を並べて持ち帰ってもらうんです。

最後に、とても大事なこと

私が今作っている街は、科学を否定しないけど、人の実感も否定しない、どちらにも居場所を残す街です。

SNSでは衝突してしまうような話題であっても、私の街では「静かに長く読まれる」話題の一つです。

そういうものをこの街(ブログ)では残していきたいと思っています。







「本記事は医療行為の代替ではなく、テレビ・論文・公的資料を一般の生活者向けに噛み砕いたものです」

この街を初めて訪れた方へ

この記事は、例えるなら「ばあちゃんの料理教室(ハクライドウ)」という街の中の「ひとつの家」です。

この街には、生活・料理・健康についての記事が、
同じ考え方のもとで並んでいます。

ここまで書いてきた内容は、
単発の健康情報やレシピの話ではありません。

この街では、
「何を食べるか」よりも
「どうやって暮らしの中で調整してきたか」を大切にしています。

もし、

なぜこういう考え方になるのか

他の記事はどんな視点で書かれているのか

この話が、全体の中でどこに位置づくのか

が少しでも気になったら、
この街の歩き方をまとめたページがあります。

▶ はじめての方は
👉 この街の歩き方ガイドから全体を見渡すのがおすすめです。

この街の地図を見る(全体像を把握したい方へ)

※ 無理に読まなくて大丈夫です。
 気になったときに、いつでも戻ってきてください。

この考え方の全体像(意味のハブ)

この記事で触れた内容は、以下の概念記事の一部として位置づけられています。

料理から見る健康

この街の考え方について

この記事は、
「人の生活を、断定せず、文脈ごと残す」
という この街の憲法 に基づいて書かれています。

この街の中心に置いている憲法を読む