筑波大学の柳沢正史教授(共同受賞者(ミニョー教授))と、臨床医学部門で中外製薬の研究者らも「ラスカー賞」を同時受賞されたニュースが話題です。
ラスカー賞は「アメリカのノーベル賞」とも呼ばれ、実際に歴代受賞者の多くがのちにノーベル生理学・医学賞を受賞している最高峰の賞です。
柳沢教授の研究がなぜこれほど絶賛されているのか、私たちの生活にどう関係するのか、詳しく調べてみました。
■「人はなぜ眠り、起きるのか」という最大の謎を解いた
私たちは毎日当たり前に眠り、朝になると目が覚めます。
しかし、「脳がどうやって『覚醒(起きている状態)』と『睡眠』を切り替えているのか」は、長年科学界の大きな謎でした。
柳沢教授は1998年、脳の中で覚醒状態を維持する神経伝達物質「オレキシン」を発見しました。
オレキシンは例えるならば「脳の覚醒スイッチ(電源ボタン)」です。
この物質が脳内で作られているおかげで、私たちは日中に途切れず起き続けていられます。
■「ナルコレプシー」の原因を特定した
「ナルコレプシー」は、日中に突然、自分の意志とは関係なく強烈な眠気に襲われて眠り込んでしまったり、感情が動いた瞬間に体の力が抜けて倒れてしまったりする難病(睡眠障害)です。
かつては「気の持ちよう」や「怠け」と誤解されることも多かったこの病気ですが、柳沢教授らは「脳内のオレキシンが極端に不足している(覚醒スイッチが壊れている)」ことが原因だと突き止めました。
これにより、病気のメカニズムが分子レベルで解明されました。
【参考記事】
日中に著しい眠気を感じる病気「過眠症(ナルコレプシー)」に関連した新しい遺伝子を発見|東大教授らのグループ(2008年)
過眠症は日本人の約600人に1人が発症し、日中に激しい眠気を感じたり、突然全身が脱力したりする病気。遺伝的な原因とストレスなど周囲の環境が発症の原因と考えられているが、詳しい仕組みは不明で、根本的治療法もない。
■私たちの「睡眠薬」の常識を劇的に変えた
この発見は、単なる基礎研究にとどまらず、私たちの医療や生活に直接役立っています。
従来の睡眠薬(ベンゾジアゼピン系など)は、脳全体の活動を強引に抑え込んで眠らせるタイプが多く、依存性や翌朝のふらつきなどが課題でした。
オレキシンを応用した新しい睡眠薬(ベルソムラ、デエビゴなど)は、オレキシンの働き(覚醒スイッチ)をブロックすることで、「脳を強引に眠らせるのではなく、起きている状態を解除して自然な眠りに導く」という全く新しいタイプの不眠症治療薬が誕生しました。
さらに現在では、逆にオレキシンの作用を補うことでナルコレプシー患者を根本治療する新薬の開発も進んでいます。
■「睡眠と覚醒の切り替え」=ししおどしモデルで解説
柳沢正史教授はメディアなどで目に見えない脳内の「睡眠と覚醒の切り替え」を視覚的にイメージできる例えとして、「ししおどし」で解説されています。
「ししおどし」の仕組みは、竹筒に水が溜まり、重くなると「カタン」と傾いて水を吐き出し、また元に戻る仕組みです。
柳沢教授はこれを脳の仕組みに例えています。
竹筒の中に溜まる「水」 = 眠気(睡眠負債)
竹筒の向き = 脳の状態
竹筒が上を向いている状態 =「覚醒(起きている状態)」
竹筒がカタンと下を向く =「睡眠への切り替え」
起きている間、脳にはチョロチョロと水が溜まるように「眠気」が蓄積されていきます。
水(眠気)が7〜8割ほど溜まり、ある限界を超えると、竹筒が重みに耐えかねて「カタン!」と下を向きます。
これが「睡眠に入った状態」です。
眠っている間に溜まった水(眠気)が流れ出て空っぽになり、軽くなった竹筒は再び上を向いて「覚醒」に戻ります。
ここで重要になるのが、柳沢教授が発見した「オレキシン」です。
●「オレキシン」の役割=ししおどしの「重し」
覚醒中、オレキシンは竹筒の上側に「重し(つっかえ棒またはストッパー)」として働いています。
起きている間に「水(眠気)」がどんどん溜まってきても、オレキシンという重しが竹筒を上向きで安定させているため、私たちは起きて仕事や活動を続けることができます。
そして夜になり、水(眠気)が満タン近くまで溜まって限界に達すると、オレキシン(重し)の働きが弱まり、たまっていた水(眠気)の重みで竹筒が「カタン」と下に傾き、一気に「睡眠状態」へとスイッチが切り替わり、眠りに入ります。
寝ている間に水(眠気)が完全に外へ流れ出ると、再び竹筒は上を向き、朝「覚醒」します。
●ししおどしのイメージでつかむ「睡眠障害」のメカニズム
・ナルコレプシー(過眠症)はオレキシン(重し)が脳内に全く存在しない状態です。
重しがないため、竹筒が非常にグラグラと不安定になります。
水(眠気)が少し溜まっただけで、日中の大事な場面でも突然「カタン」と筒が傾いて強い眠気に襲われてしまいます。
・不眠症(過覚醒タイプ)はオレキシン(重し)が強すぎたり、夜になっても重しが外れなかったりする状態です。
竹筒の中に水(眠気)が十分に溜まっていて体は疲れているのに、強力な重しのせいで竹筒が下に傾くことができず、眠りにつくことができません。
このように、「眠気の蓄積(水)」と「覚醒の維持(オレキシンという重し)」のバランスによって、一瞬で状態が切り替わるダイナミックな仕組みを表現したのが、柳沢教授の「ししおどしモデル」です。
●「ししおどしモデル」をさらにフカボリ
覚醒と睡眠の切り替え機構を「フリップフロップ・スイッチ(Flip-Flop Switch)」と呼びます。
回路が「ON(覚醒)」か「OFF(睡眠)」かのどちらか一方にしか安定して存在できない仕組みです。
「オレキシン」はフリップフロップの安定化因子です。
■まとめ
「人はなぜ眠り、起きるのか」という謎を解明しただけでなく、その研究が私たちの医療や生活に直接役立っているというのはすごいことですね。
【参考文献】
- 1. Sakurai, T., Amemiya, A., Ishii, M., Matsuzaki, I., Chemelli, R. M., Tanaka, H., … & Yanagisawa, M. (1998).”Orexins and orexin receptors: a family of hypothalamic neuropeptides and G protein-coupled receptors that regulate feeding behavior”. Cell, 92(4), 573-585.
(※ 柳沢教授らのグループによるオレキシンの発見論文) - 2. Chemelli, R. M., Willie, J. T., Sinton, C. M., Elmquist, J. K., Scammell, T., Lee, C., … & Yanagisawa, M. (1999).”Narcolepsy in orexin knockout mice: molecular genetics of sleep regulation.” Cell, 98(3), 365-376.
(※ オレキシンノックアウトマウスがナルコレプシーを呈することを示し、病因を解明した論文) - 3. Saper, C. B., Chou, T. C., & Scammell, T. E. (2001).
“The sleep switch: neurobiology of sleep onset and maintenance.” Trends in Neurosciences, 24(12), 726-731.
(※ 覚醒・睡眠の「フリップフロップ・スイッチモデル」を提唱し、オレキシンがスイッチの安定化機構として働く概念を示した論文) - 4. Saper, C. B., Fuller, P. M., Pedersen, N. P., Lu, J., & Scammell, T. E. (2010).
“Sleep state switching.” Neuron, 68(6), 1023-1042.
(※ フリップフロップモデルとオレキシンの役割についての詳細な説) - 5. Wang, Z., Ma, J., Miyoshi, C., Li, Y., Sato, M., Ogawa, Y., … & Yanagisawa, M. (2018).
“Quantitative phosphoproteomics identifies SIK3- substrates contributing to a homeostatic sleep need.” *Nature*, 562(7727), 439-443.
(※ ししおどしの「水(眠気の蓄積)」の分子実体であるSNIPPs[リン酸化タンパク質]を同定した柳沢教授らの論文)
【関連記事】
「本記事は医療行為の代替ではなく、テレビ・論文・公的資料を一般の生活者向けに噛み砕いたものです」
この街を初めて訪れた方へ
この記事は、例えるなら「ばあちゃんの料理教室(ハクライドウ)」という街の中の「ひとつの家」です。
この街には、生活・料理・健康についての記事が、
同じ考え方のもとで並んでいます。
ここまで書いてきた内容は、
単発の健康情報やレシピの話ではありません。
この街では、
「何を食べるか」よりも
「どうやって暮らしの中で調整してきたか」を大切にしています。
もし、
なぜこういう考え方になるのか
他の記事はどんな視点で書かれているのか
この話が、全体の中でどこに位置づくのか
が少しでも気になったら、
この街の歩き方をまとめたページがあります。
▶ はじめての方は
👉 この街の歩き方ガイドから全体を見渡すのがおすすめです。
▶ この街の地図を見る(全体像を把握したい方へ)
※ 無理に読まなくて大丈夫です。
気になったときに、いつでも戻ってきてください。
この考え方の全体像(意味のハブ)
この記事で触れた内容は、以下の概念記事の一部として位置づけられています。
▶ 料理から見る健康
この街の考え方について
この記事は、
「人の生活を、断定せず、文脈ごと残す」
という この街の憲法 に基づいて書かれています。
▶ この街の憲法を読む