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「人間の脳の構造上、テキストメディアは廃れない」について考えてみた

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by Kate Ter Haar(画像:Creative Commons)




人間の脳の構造上、テキストメディアは廃れない

(2015/10/15、ダイアモンドオンライン)

電子工学的には、情報量は「動画>静止画>音声>テキスト」なんですよね。

静止画と音声ではどちらが大きいかはケースバイケースですが、とにかくテキストは圧倒的に情報量が小さい。

しかし、人間の脳の認知の仕組みから、人間が実際に感じる情報量は、これとは逆に、「テキスト>音声>静止画>動画」だと思うんですよ。

それは、多分、テキスト情報が、その人の記憶を呼び起こして、人間の想像力で豊かな情報が脳の中で補完されるからだと思うんです。

この記事でまず気になったのは、「人間の脳は動画よりテキストのほうが情報量が多いと感じる」という点についてです。

この点についてはこの記事には分かりやすい例で書かれています。

ブログやTwitter、LINEなど、いまネットで主流になっているのは、いまだにテキストメディアが多い。ネットの通信速度やデバイスの性能が上がれば、コミュニケーションツールはテキストから音声、画像、動画へと進歩していくと思っていたのに、実際はそうなっていない

この記事にも書かれている通り、テクノロジー的には解決しているにもかかわらず、なぜコミュニケーションツールの主流はテキストメディアが主流なのでしょうか。

その一つの理由は、この記事にもある通り、テキスト情報だからこそ、自分が好きなように(脳内で補完して)想像ができるからなのでしょう。

もう一つの理由として考えられるのは、人間の考え方が二次元で考えることに慣れているからではないでしょうか。

チームラボ猪子寿之、インターネット時代の知性を語る

(2015/6/10、ダイヤモンドオンライン)

でも、99%の人は二次元で考えているから、それが普通だと思って気づいていない。ありとあらゆる概念を直感的に二次元で考えているがゆえに思考がすごく浅いんです。

<中略>

インターネットができた時も、世の中の人は皆、二次元で考えていたから、ついついトップページがあって、そこから階層的な二次元構造でポータルをつくってしまった。でも見る人も二次元でしか考えていないからわかりやすかったはずです。

人間が実際に感じる情報量は、「テキスト>音声>静止画>動画」の順というわけではなく、テキストメディアのように、情報量を極端に減らしたメディアのほうが脳で処理しやすいということですね。

本来であれば、脳は高次元で考えられるのでしょうが、低次元で考えたほうがラクなんでしょうね。

人は理解できないものはわからないし、面白くない。

楽な方に進もうとすると、自然と情報量の少ないものを選択するということではないでしょうか。

 

■まとめ

人間が高次元で考えるようになったときは、テキストメディアは廃れるかもしれない。







自分を解放して、自分を受け入れると、相手ともっと自然に触れ合えるようになる!?

Just for laugh

by Aimanness Photography(画像:Creative Commons)




タモリさんから始まった落語を変なものにはできません。

(2015/8/19、チケットぴあ)

「演劇の世界では”自分を解放する”という稽古方法があるそうですけど、うちの師匠についていたら解放しないほうが難しかった。自分の世界に閉じこもっていたら『なにをカッコつけてんねん!』ですから(笑)。

<中略>

俳優であろうが落語家であろうが、演じる側の日常が芝居に出るものと僕は思っているんです。そういう意味では、自分を解放することが日常だった師匠との日々から、自然と演じることの本質を教えてもらっていた気がしています」

自分を解放するということをトレーニングすることで、自分を再発見することにつながるのではないでしょうか。

「ダメな自分を救う本」(著:石井裕之)にはこう書かれています。

それと、自分の中の感情の流れを止めないこと。例えば、人の前で泣けない男の子や、長い間怒ったことのない女の子って多いと思います。悲しい時に泣いて、腹が立った時には怒らないと。人前で泣くことは恥ずかしいことじゃない。むしろそれだけ相手にオープンだってこと。

最近のデータによれば、97%の大学生が場の空気を読んで、自分の意見を言わないことがある!?そうですが、感情を出す(感情の流れを止めない)というのは決して恥ずかしいことではなく、それだけ相手に対してオープンであるということを示しています。

相手のことばかり考えるあまり、自分の感情を伝えられないという人は、一見相手のことを思いやっているようで、自分のことを大事にしておらず、相手とは本当の意味で触れ合っていないのもしれません。

自分を解放することによって、自分が知らなかった自分(自分の素)を見つけ、その自分を受け入れることができれば、もっと自然と相手と触れ合うことができるのではないでしょうか。




人生を軽やかに生きる|自分がオープンになるからこそ相手もオープンになれる

自分探しはしなくていい。本当の自分は、「人生を楽しむ」ことで見えてくる- ロバート・ハリス

(2014/6/8、旅ラボ)

人生の重みって、どれだけいろんな体験して、失敗し、悲しみに涙し、運命に叫び声をあげ、その上でどれだけ今を軽やかに生きているかだと思うんです。

「人生って大変だよ」という人よりも「人生って楽しいもんだよ」という人のほうが憧れます。

たとえ、その人がどんなに大変な人生経験をしていたとしても、それでいてもなお人生って面白いといえるかどうかがその人の器を感じさせます。

苦しく悲しい出来事も自分で面白い話に変えちゃうくらいにしてしまったほうがいいですよね。

正直言って落語に触れた経験といえば、NHKの「ちりとてちん」であったり、TBSの「タイガー&ドラゴン」であったりと、ドラマを通じてしか触れたことがありません。

ただ、落語の世界というのは、どんなダメな人間も受け入れてくれる世界だという認識はあります。

「人間の業を肯定してくれるのは落語だけだよ。一生懸命やれって言わないでしょ。一生懸命やったけど、やっぱり駄目だったってね」…「立川談志さん死去」の報に接して思い出した、あの至言。

(2011/11/24、病床軟弱)

「人間の業を肯定してくれるのは落語だけだよ。一生懸命やれって言わないでしょ。一生懸命やったけど、やっぱり駄目だったってね。人生って失敗と恥ずかしさの連続よ。そう言わないと、俺の所業も説明がつかないけどね。だから疲れたら落語を聞いているのがいいよ。落語っていうのは慰めてくれるから」

立川談志さんは「落語とは、人間の業の肯定である」といったそうです。

人生には成功もあって、失敗もあって、ほとんどの人は一生懸命努力しても失敗続きの人生かもしれません。

落語というのは、そんな人の心を楽にしてくれるものだと思います。

自分を解放してみて、離れていく人もいるかもしれません。

だけど、そんな解放した自分を面白いと思ってくれる人もいると思います。

そんな自分を受け入れると、もっと楽しい人生になるんじゃないでしょうか。

P.S.

鶴瓶さんのこの言葉も素敵です。

でも実は、場がシラけるという経験も積めたのが大きかったんです。若い頃なんて、シラけるのは恥ずかしい。でも、その感覚から目をそむけずに『こういう日もあるよ』と自分の恥ずかしさを認めてあげる。

「自分の恥ずかしさをも認めてあげる」からこそ、周りの人がどんなに恥ずかしい思いをしたとしても、一緒に笑ってあげられるのではないでしょうか。







【関連記事】

本質主義には2つのアプローチの仕方がある!?|片付けコンサルタント近藤麻理恵と建築家ヴィンセント・ヴァン・ドイセン

Large Order Of Toast

by JD Hancock(画像:Creative Commons)




Kinfolk japan edition volume nineでは、「本質主義」について取り上げられていました。

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本質主義にもいろいろな受け取り方があるものだと感じたので、このブログでも取り上げてみたいと思います。

ベルギー出身の建築家/デザイナーであるヴィンセント・ヴァン・ドイセンさんにとっての本質主義とは

無駄を取り除き核心に触れ、余分な部分をそぎ落とし、真の姿、シンプルさや純粋さを取り戻すことです。

と語っています。


参考画像:Pinterest

また、世界的ベストセラーとなった「人生がときめく片付けの魔法」の著者であり、片付けコンサルタントである近藤麻理恵さんの本質主義とは

その人が本当にときめくものだけを持ち、それらを大切にする生き方をするということです。

と語っています。

同じ本質主義であっても、アプローチの仕方が違っているように感じます。

ヴィンセントさんのアプローチの仕方は、無駄なものをそぎ落として残ったものが大事なものという考え方であり、近藤さんのアプローチの仕方は、ときめくものを残す=大事なものという考え方です。

文章の受け取り方や言葉遊びのようにも思いますが、自分にとって本当に大事なものを自分が能動的に選ぶかそうでないかは大きく違うように思えます。

あなたはどちらのタイプの本質主義でしょうか?

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「流れを意識する考え方」|「より遅いほうがより速い(Slower is faster)」|MIT

Traffic Trails

by Barry Davis(画像:Creative Commons)




全ての自動運転車が最適な速度かつタイミングで交差点に入れば信号もいらなくなる

(2016/3/28、ギズモード)

WAVE|MIT Senseable City Lab

センサブル・シティ研究所が発表した最近の論文では、数理モデルを使ってその主張を説明しているようです。そこで提案されているのは「スロット・ベース交差点」というもの。

<中略>

「このスピードでこの進路をとれば何にも衝突しない」ということが計算されて分かっているから、迷わずに一定のスピードで交差点に入って、出ていくことができるわけです。

車を運転する場合、車間距離を詰めて走るよりも、ゆとりや余裕を持って運転した方がよいということが実証されています。

車間距離「40m」が渋滞のボーダーライン(西成活裕)|athomeこだわりアカデミー

車間距離が狭くなるとスピードは落ちてしまいます。前の車のちょっとした揺れが後ろの車に増幅して伝わり、十数台後ろの車を止めてしまう程の渋滞を巻き起こしてしまうのです。

ちなみに、車間距離約40mというのが「渋滞」になるかならないかのボーダーラインであることが、数々行なった実験から判明しています。

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全員がきちんと車間距離をとって走れば、渋滞が起こらず結果的に早く目的地に着くそうです。

この原理を「より遅いほうがより速い(Slower is faster)」とMITの研究者たちは呼んでいるそうです。

この考え方は日々の生活やビジネス、考え方にも応用ができるのではないでしょうか?

つまり、「流れ」を意識するという考え方です。

ビジネスにおいてはスピードが要求されますが、そこをあえて、「流れ」を意識するようにすることができれば、結果的に早く目的を達成できるのかもしれません。

例えば、プロジェクトを行う際にも、適切なバッファが設定されていない場合には、遅れが生じた場合や予期せぬトラブルが起きた場合に、流れが滞ってしまい、プロジェクト自体が進まなくなってしまいます。

また、料理を作るときにも、いくつかの品数を同時に完成させるには、下ごしらえの準備やコンロ(IHヒーター)の数、それぞれの料理の出来上がりの時間などの段取りを意識して作る必要があります。

「(物事の進め方が)上手くいかないな」という人は「流れ」を意識してみてはどうでしょうか?







【追記(2016/8/5)】

狂気じみた複雑さなのに事故率を30%も下げる交差点「マジック・ラウンドアバウト」とは?

(2016/8/5、GIGAZINE)

マジック・ラウンドアバウトは事故率を30%も下げ、60年の歴史を持つとともに、過去5年において死亡事故は1件しか起こっていないとのことです。

See How an Insane 7-Circle Roundabout Actually Works

一見複雑そうに見えて、実は、交通状態に応じて走りやすい道を選べるので、効率的に車を走らせることができるそうです。

P.S.

ロビン・チェイスによるZipcarと更なるビッグアイデア

(2007/3、TED)

渋滞課金制度は世界の主要都市で検討されていますが 実現にはワイヤレス技術が必要です ロンドン一帯に料金所を設置して ゲートを開け閉めしたりはしないのです 渋滞課金制度は 道路課金制度を支える技術と それに対する人々の心理を試すものです いずれ道路課金しか手がなくなります というのも 今は 道路の維持や補修を ガソリン税でまかなっていますが 燃費が良くなれば ガソリン税の税収が減ってしまうからです だから 走行距離に応じて課金する必要があるのです 渋滞課金で試して 同じテクノロジーを道路課金でも利用することになります

世界的なカーシェアリング会社「Zipcar」の設立者であるロビン・チェイス(Robin Chase)のTEDトークによれば、イギリス・ロンドンで導入された渋滞区域を走る車に課金する渋滞課金制度によって、導入された翌日には 渋滞が25パーセント軽減され、その効果は4年間続いたそうです。

渋滞課金制度の実現には、全土に料金所を設置して、ゲートの開け閉めをするというのは現実的ではないため、ワイヤレス技術が必要になるそうです。

SNSを利用して自分はそこから何を得ているのだろうか?

Instagram and other Social Media Apps

by Jason Howie(画像:Creative Commons)




アクセスするとSNSがいかに「のぞき趣味」であるかを突きつけられるサイト

(2015/10/12、WIRED)

「この作品を観ると、『で、これを観た経験から自分は何かを得たのか?』という疑問に行き着きます」とハリスは言う。「これはわたし自身がインターネットを利用しているときによく投げかける疑問です。『で、自分はそこから何を得たんだ?』ってね」

ジョナサン・ハリスとグレッグ・ホックマスが問いかけていることはこういうことではないでしょうか。

私たちはインターネット(この記事ではSNS)を利用していますが、その大半の時間を他人の生活をのぞき見する時間に費やしており、そのことから私たちは何を得ているのか、ということです。

FACEBOOKやりすぎると脳が退化してしまう?で紹介したアメリカのタフツ大学の認知神経科学者メアリーアン・ウルフ氏によれば、ある情報について深く考えるには、時間がかかるものですが、ネット上では、さっさと気晴らしから気晴らしへと飛んでいくことができるとあります。

深く考えることを忘れて、知らず知らずのうちに、暇つぶし・時間つぶしをしてしまうのです。

確かに、SNSにはメリットがあります。

遠く離れた昔の友人と再度つながる機会を得たという人もいるのではないでしょうか。

しかし、使い方を間違えると、自分にとっての貴重な時間を失わせてしまうのです。

SNSはあくまでも道具。

自分なりの距離感でその道具をうまく使いこなすことが重要です。







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