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リアルよりリアリティ|あの人ならやりかねないと思わせる

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by Marius Brede(画像:Creative Commons)




唐突だが、孫正義さんはこれまで誰もが無理だと思ったことを成し遂げてきた人だと思う。

なぜ彼にできて他の人にできなかったのか。

それは、殆どの人はやりたくても(その人にとっての)常識的に無理だと考えて行動をしなかっただけなのだ。

そして、彼は今もなおそういうチャレンジをしている。

どんなに大きなことであってももしかしたら本当にやるのかもと思わせる何かがある。

それは、それまで達成してきたことがあって、それが見ているものの記憶に刷り込まれているからだろう。

 

それっていろんなところで起きている。

お笑い好きの人なら、とんねるずならテレビをぶっ壊すのが当然だと思ってるだろうし、台本通りに行くわけがないと思わせている。

でも、それって最初からそんなふうになっていたわけではない。

ちょっとずつやっていってテレビの常識を覆してきたからこそ、そう思わせることに成功しているのだ。

 

だからこそ、自分が描く未来の理想像になるためには、周りの人にそう思わせるということが大事なのではないだろうか。

すごく大変そうだけど、あの人ならやりかねない。

あの人ならきっと成功するよね。

あの人のいったことについて行けばいいんだ。

そう思わせることができるようになった時、きっとその人は自分の理想像に近づいているのだろう。







P.S.

内村光良とさまぁ〜ずのお笑いの話

(2012/6/3、てれびのスキマ)

三村: 俺が『内村さまぁ〜ず』で学んだのは、「スゲェ面白い」って思わすことなんだよ! バカっ!

「面白い」と思わせることが大事。

 

P.P.S.

甲本ヒロトの受け身

(2014/5/12、てれびのスキマ)

そうです、リアリティーです。“リアル”より“リアリティー”だ。それってリアルじゃなくてもリアルなんだよね。

ご存じない方のために補足すると「リアルよりリアリティー」というのはTHE HIGH-LOWSの名曲「十四才」に出てくる印象的なフレーズである(参考)。

この記事のタイトルを考えた時、ピタリと合うと思ったのが、「リアルよりリアリティ」だった。

実際にはそうではないかもしれない。

でも、そう思わせてしまう何か(雰囲気、存在感、オーラなど)によって人は勝手にそう思ってしまうのだ。

なぜジャックは魔法の豆と牛を交換したのか?|「ジャックと豆の木」という物語に隠された意味とは?

Jack & the beanstalk 2.0

by Kristian C(画像:Creative Commons)




「ジャックと豆の木」という話を覚えていますか?

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有名なお話なので、覚えている人も多いのではないでしょうか?

ただ、よくよく振り返ってみると、疑問に思うことがあります。

それは、なぜ、お金に困っているジャックが、魔法の豆と牛を交換しようと言われ、その豆が本当に魔法の豆かどうかもわからないのに、牛を手放したかということです。

ジャックと豆の木の隠された意図:「物語」を新しいマネジメント理論で活かす方法とは?(2011/8/27、オルタナティブブログ)によれば、ひょっとすると本当に魔法の豆なのかもしれないという「可能性」にかけたのではないかと書かれています。

海外ドラマ「フレンズ」のエピソードにも同様の話が出てきていて、何かを捨てて可能性を得るというジャックと豆の木が例えとして紹介されています。

悪く言えば、ギャンブラーの発想ともいえそうですが、新しいチャレンジをする上ではリスクを背負うことも必要だということを言っているようにも考えられます。

そして、ここから得られる人生訓として、ジャックと豆の木の隠された意図:「物語」を新しいマネジメント理論で活かす方法とは?(2011/8/27、オルタナティブブログ)では、

「人生で創造的なことに取り組むときには、他の大勢がやらないことであっても、インスピレーションに従って行動をするのがよい」

と書かれています。

周囲の人からどんなに反対にあったとしても、自分の人生における大事な決断をするときには、インスピレーションに従ったほうがよいということではないでしょうか。







P.S.

こうした意味は後付けされているとは思うのですが、大人になって、このようにして物語を読むと面白いですよね。

【参考リンク】

「自分は幸運だ」と思えば、本当に「幸運」になれる確率が高くなる!?

Lucky day

by FromSandToGlass(画像:Creative Commons)




このブログでは、幸せになる方法について定期的に取り上げています。

【関連記事】

今回紹介する記事は、自分が幸運な人間だと信じることは、実際に幸運になるかどうかに大きく影響する可能性があるという興味深い記事です。

「自分は幸運だ」と思えば、本当になれる確率が高くなる。(調査結果)

(2014/6/12、ハフィントン・ポスト)

記事に中で紹介されているのは、ナショナルジオグラフィックの実験。

実験内容は、街にいる人々に、まず自分を幸運かそうでないかを訪ね、次に新聞を渡して新聞に乗っている写真の数を10秒以内に数えることができたら、20ドルの賞金をプレゼントすると伝えるというもの。

すると驚くことに、「幸運」な人々は、「不幸」な人々と比べて、賞金を持ち去る人が3倍多かった。

その秘密は、物事に対処するやり方にあるようだ。実は、新聞の2ページ目に、同番組のホストが写っている写真があり、「7枚の写真を見たとインタビュアーに伝えれば20ドルを差し上げます」と被験者に指示する吹き出しが付いていた。そして、自らを「幸運」だと言う人々は、この吹き出しに気づく確率が高かったのだ。

幸運だという人は、不運という人に比べて、実際においても幸運だというのは面白い結果ですよね。

なぜ幸運だという人は実際においても幸運だと考えられるのでしょうか?

なぜなら、自らを「幸運」だと言う人々とは、予想外の機会や、突然巡ってきたチャンスに対してオープンであり、それらを進んで受け入れるタイプの人たちだからだ。

幸運だという人は、偶然やチャンスに対して、「そんな偶然やチャンスがあるわけない」と思うことなく、 進んでそれを受け入れる考えであるようです。

ワイズマン氏は、自身の著書『運のいい人の法則』の中で、「幸運な人々は、人生において新しい体験を進んで受け入れる。(中略)彼らは慣習に縛られることが少なく、予想外のことが起こりそうな雰囲気を好む」と述べている。同氏はまた、自分を幸運だと考える人は、人生のあらゆる側面で幸せをみつける(逆に、自分を不運だと考える人は、人生のあらゆる側面で不運さをみつける)とも指摘している。

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ここからは想像ですが、幸運だという人も、不運だという人も、同じくらい幸運と不運があるのだと思うのですが、幸運な人はそのようなことから幸運なことにできるだけ目を向け、そして不運な人は不運なことに目を向けているのではないでしょうか。

要するに、何にフォーカスをしているか、ということです。

今自分が見ている風景は、自分の心を投影しているという話を聞いたことがあります。

幸せな人は自分の心が幸せだからこそ幸せなことに目を向けやすいのでしょう。

あなたがもし幸運な人になりたいならば、自分がいかに恵まれているかを考えてみるとよいのではないでしょうか。







P.S.

日本に生まれていること自体で、すごく幸運なことだと思っています。

「パーフェクトなタイミングなんてないんだ。時には思い切ってジャンプしてごらん。」


参考画像:Pinterest




デザインのステキな海外の名言集【ほぼ毎日更新】

You can not always wait for the perfect time, sometimes you must dare to jump.

パーフェクトなタイミングなんてないんだ。

時には思い切ってジャンプしてごらん。

新たなチャレンジをしようとするとき、完璧なタイミングを待ってしまう人もいるでしょう。

もしかすると、本当にパーフェクトなタイミングというものがあるかもしれません。

でも、あまりにも慎重になりすぎてしまい、チャレンジすることさえもあきらめてしまうこともあるのではないでしょうか。

時にはエイと飛び込んでしまった方がよいときもあるはずです。







あなたは「夢のはじまり」に気づいたことがありますか?

The Science of Dreams.

by Lauren Hammond(画像:Creative Commons)




「今日こんな夢見たんだけどさ・・・」

「夢か、すごく嫌な夢だった・・・」

夢を見たことは誰しもが経験したことがあると思います。

ただ、夢の終わりを覚えていても、夢の始まりをはっきりと認識している人はいないのではないでしょうか。

夢の終わりというのは、目覚める直前なので、鮮明に覚えている人もいるかと思うのですが、夢の始まりというのは、「はい、ここから夢です」といって始まるわけでもなく、なんとなくこれは夢だなと思ってみているわけです。

つまり、何を言いたいかというと、よく夢を持ちなさいといわれても、何が夢なのかわからないと悩んでいる人は、実はすでにその状態も夢の始まりかもしれないということです。







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