by Wade Morgen(画像:Creative Commons)
新たな「非識字者」が増えている:Facebookを読めても、現実は理解できない人たち
(2014/5/11、WIRED)
”機能的非識字者は自分で文字を書けるのだから、一見、自立しているように思える。しかし彼らは、例えば保険の約款を理解できない。新聞に掲載されている記事の意味も分からないし、文章の要点をつかんだり、感動したりすることができない。図表を読み取ることができない。したがって、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することができない。”
記事で紹介されているOECD(経済協力開発機構)のPIAAC(国際成人力調査)の結果によれば、現在、読み書きはできるけれど、ニュース記事の内容を理解できない、文章の要点を掴んだり感動することができない、図表が読み取れない、などといった「機能的非識字」が存在するそうです。
つまり、「機能的非識字」の人というのは、社会構造を解釈し、把握することができないということです。
この記事で興味深いと思ったのがこの部分です。
したがって、機能的非識字者は、自身の直接的経験と比較することによってのみ、世界を解釈する
自分が直接関わりあることだけで世界を解釈しているということですよね。
文字の読み書きができて、Facebookで近況の投稿はできても、世界は自分の腕を伸ばした範囲しかないということなのでしょう。
自分が生きている世界を広げる方法のひとつとしては、「読書」が挙げられます。
つながっていても孤独?|つながりすぎることで失ったものとは何か?で紹介した「マリアビートル」(著:伊坂幸太郎)では、読書が生きる上でどのように役立つかが書かれています。
「本を読み、内容を噛み砕く事で、語彙が増え、知識が増え、いっそう読解力が増した。本を読む事は、人の感情や抽象的な概念を言語化する力に繋がり、複雑な、客観的な思考を可能にした。」
本を読むことを通じて、他人の感情を慮ることや自分にはこんな感情があるんだということに気づき、そして、様々なことを脳の中で疑似体験をすることができます。
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もう1つは、考えること・想像することでしょう。
by Nickolai Kashirin(画像:Creative Commons)
「何でも自分が経験したことでないとわからない」という人がいます。
でも、人間の想像力の可能性というものはもっとすごいものだと思うのです。
自分が経験したことでないことであっても、こういうことなんじゃないかな、こういう感情ではないかなということを想像することができるはずです。
もちろん、経験できるに越したことはありません。
しかし、できないことだってあります。
経験したことがないことを想像してみるというのは、人間に備わった素晴らしい能力のはずです。
もっと自分に備わっている能力を信じてみてもいいのではないでしょうか。
読書すること、考える事・想像することによって、社会構造を解釈し、自分の世界を広げることができるはずです。
【おすすめする本】
- 「フライ、ダディ、フライ」(著:金城一紀)
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