by amber litzinger(画像:Creative Commons)
■日本のお笑いは「現代アート」であると捉えてみよう!
日本では現代アートに対する関心が低いから、職業として現代アートを志すのは難しいといいます。
【参考リンク】
- 欧米中心に発達した現代アートの世界を、私はどう生き抜いていくのか?(2017/9/27、milleu)
日本人は現代アートに対して本当に関心が低いのでしょうか?
それには、現代アートとは何かという定義をする必要があるでしょう。
(2012/4/5、日本経済新聞)
(2013/10/25、日本経済新聞)
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流用アート論(著:小田茂一)
現代のアート表現の根幹には、目の前の事物を忠実に描出することを超えて、その理念やコンセプトをどのように具体的にイメージできるのかという問いがある。このことをパウル・クレー(1879-1940)は、「見えるようにする」という言葉で表している。つまり「芸術とは目に見えるものを再現することではなく見えるようにすることである」ということを前提にした取り組みが、20世紀アートの課題としてクローズアップされたのである。
こうした意見を参考にして、ここでは、
現代アートとは、現代社会の情勢や問題をもとに、これまで目に見えなかったもの(理念やコンセプト)を見えるようにすることによって、人々の認識を揺さぶったり、心にひっかかるものを残すもの
と定義してみます。
日本のお笑い芸人さんというのは、現代に起きた問題や日ごろの生活の中で感じた違和感を目に見える形にすることで、笑わせたり、あっと驚かせたりしています。
現代アートの定義を先ほどのものとすると、日本のお笑いというものは、現代アートといえるものではないでしょうか?
どんなに面白いことであっても、その面白さの「見方の入り口(解説書)」を付けないと、相手には伝わらないによれば、、面白いことを紹介するときには、いきなり面白いことを見てはいけないそうです。
それは、面白いことはすでに自分の目の前にあるんだけど、それは自分には見えていて、他の人には見えていないから。
そのため、「コレが面白いんですよ」という見方・視点があることを、手を変え品を変え伝えることによって、ようやく面白いことが理解されるようになるのです。
これこそがアートなのではないでしょうか?
つまり、お笑いが現代アートの一つであるのですが、現代アートとはみなされておらず、一つの分野とみられているため、日本は現代アートに対して関心が低いということになっているのではないでしょうか。
■まとめ
しかし、つい先日、往年の大ヒットキャラクターが現在のテレビに出演した場合に表現に問題があるのではないかという騒動が起きました。
それは、当時の価値観で作られたものであるため、現在の価値観では受け入れられないものがあるのは当然です。
現在の価値観に照らし合わせてみると、人を傷つけてしまうような間違った表現方法であるかもしれませんが、ただ、それだけそのキャラクターに人々の心をゆさぶる何かがあるというのは事実です。
懐かしいという声も上がっているように、自分の記憶の中の一ページとして残っている人もいました。
そうでなければこれほどの影響を与えることもなかったでしょう。
日本のお笑いは現代アートであるという視点からみれば、今回のように怒りの矛先をそのキャラクターに向けることで表現を締め付けるのではなく、当時は古い価値観でやっていたから、新しい価値観にアップデートしていくように、前向きに表現を変えていくようにしていけばよいのではないでしょうか。