価値観は変わり続ける−「さとり世代」の価値観とは


Portrait

by Francesca Cappa(画像:Creative Commons)




■「さとり世代」は上昇志向がない!?

バナナマン設楽が語る、若手の上昇志向が無くなった理由「無理してカッコつける先輩がいなくなった」を要約すると、若手の上昇志向がなくなった理由は、無理にでもかっこつける先輩やかっこいい大人がいないからということみたいです。

かっこつけることの美学というか、目標とする大人がいないと、そこを目指そうとする若者がいなくなるということでしょう。

ただ、若者の上昇志向がなくなっている理由としては、若者の価値観が変化していることも大きいのではないかと思います。

 

■「さとり世代」は「今」が一番幸せ!?

視点・論点 「”さとり世代”の本音」

(2013/11/21、NHK解説委員室アーカイブス)

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実は「さとり世代」(2013年時点で19~30歳の人たちを、幅広く「さとり世代」と呼ばれる)の満足度は高い傾向にあります。

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また、「さとり世代」は、将来に対する不安を持っている割合が高い傾向にあります。

つまり、このことは、「さとり世代」にとって「今」が最も幸せだと思っているということです。

 

■「さとり世代」が大事にしている価値観

具体的に「さとり世代」の価値観について考えてみましょう。

さとり世代が幼少期を過ごした2000年代、デフレが続き、ファストファッションや百円ショップなどに代表される、低価格でも質がそこそこ良いモノやサービスを提供する企業が増えていきました。そのため「高価なモノを消費すること=楽しい生活」というバブル世代的な価値観が崩壊していきます。

「若者の○○離れ」という言葉がたびたび目にしますが、車に乗らない、酒を飲まない、恋愛に興味がない、など今までの世代が重要視していたものから離れていってしまっています。

「さとり世代」が大切にしているのが、「人間関係」です。

自分と合う人とも合わない人とも、つながりつづけているので、その場に合わせ、場を乱してはいけないという気持ちが強くなり、結果、人間関係に過剰な気遣いが生まれます。誰かに本音を打ち明けたくても、他人に伝わることを心配し、腹を割って話せない。

97%の大学生が場の空気を読んで、自分の意見を言わないことがある!?という記事を以前紹介しましたが、場の空気を読むばかりで、自分の本音を打ち明けることが出来なくなっているという現状があります。

そして、「さとり世代」にとって重要となるのは、「共感」というワードでしょう。

かつて、マーケティングの原理原則は、「消費者に背伸び」をさせることでした。バブル世代の若者には、「まだ見ぬお洒落なライフスタイル」を呈示した商品が売れたわけです。しかしさとり世代は、「未来」に対する「憧れ」を持ちません。それよりも、「過去」を「懐かし」がって、仲間皆で「共感」することが大切になってきています。

 

■「共感」がキーワード

【インタビュー】せーの代表 石川涼「ファッションは終わり、感動するものだけが残る」

(2014/2/5、Fashionsnap.com)

ー「売れるものはかっこいいもの」という考えについて、「かっこいい」の定義は。

「かっこいい」の定義はすごく難しいですが、時代によって変わっていくと思います。例えば90年代にかっこよかったのは、数が少なくてみんなが買えなくて、しかも高いもの。でも今は違って、人をわくわくさせられるものですね。みんなが「欲しい!なにこれ!やばい!」ってなるもの。得てして、ユーザーがそのとき欲しいものが一番かっこいいんですよ。今みんなが欲しいものは、間違いなく「共感を生むもの」なんですよね。

 
Selfie Louvre

by Jean-François Gornet(画像:Creative Commons)

例えば、「Selfie(自撮り)」が2013年の「オックスフォード・ワード・オブ・ザ・イヤー」(日本の流行語大賞のようなものみたいです)に選ばれました。

自撮りとは、スマホなどデジタルデバイスで撮影することであり、ソーシャルメディアのサイトにアップロードすることが多いです。

自分の写真を撮るだけでなく、SNSで友達と共有するというのは、「さとり世代」だけでなく、多くの世代の共感を得ていますよね。

そして、海外ではその自撮りに関連したサービス(InstagramやSnapchat)が流行しています。

これから「さとり世代」にアプローチするのならば、「さとり世代」がかっこいいと思っているものは、「共感」を生むものであるので、今の「仲間同士の共感」を重視した商品・サービスを考える必要がありそうです。







P.S.

グラミー賞を獲得したLorde の「Royals」がヒットしたのも、もしかしたら「ロイヤルズ」の価値観と「さとり世代」の価値観が共感をしたからなのかもしれません。

Lorde -Royals

グラミー賞を獲得したロードのロイヤルズは、セレブの豪華な生活を題材とした曲を批判しているようにも聴こえるし、ラブソングでもあります。

この曲が流行ったということは、「ゴージャスな暮らしよりも大切なものがある」というメッセージに共感している人が多いということなのかもしれません。

【参考記事】

ただ、「贅沢」の捉え方が、セレブの消費文化のようなものだけで捉えられると、この世界から美しいものがなくなってしまいかねないなーとも思います。

「贅沢は味方」なのです。(「キラーチューン」の歌詞より)

 

P.P.S

今回の記事では「共感」がキーワードと書いたのですが、「共感」というのは自然となるものであってほしくて、促すものでないと思うのです。

全く同じ価値観の人はいないのであって、全く同じ感性の人もいないのであって、違って当たり前であって、違うことが面白いのであって、それをすべてひっくるめて面白いと思えると、「世界は一つ」と唱えなくてもいいのかもしれないなと思います。

【おすすめブログ】

星野源の共感と羞恥 − てれびのスキマ(2012/11/18)

前からずっと違和感があった「世界はひとつ」って言う言葉。全然それは否定しないし、いい言葉だなとも思うんですけど、「地球はひとつだけど世界はいっぱいあるのになぁ」って思ってたんですね。

<中略>

「君と僕はひとつだ」なんて「嘘つき!」ってずっと思ってたけど「君と僕はふたつだ」って言われるとそうだよなって。でもその「ふたつ」は「ひとつひとつ」とはまた違うじゃないですか。それぞれがちゃんと孤立して自然と重なることでなにかひとつのものがそこに生まれるんじゃないかって。