今の時代のラグジュアリーとは、テクノロジーからアンプラグドして、自分だけの時間やスペースをもつこと





amongst the tall grass lies peace and solitude

by Alistair Holmes(画像:Creative Commons)

「仕事場でも自宅でもない『公共の場』がいまの都会には足りない」 ダン・バラシュ(THE LOWLINE エグゼクティヴ・ディレクター)

(2014/10/31、WIRED)

いまの時代におけるラグジュアリーとは、アンプラグして、コンピューターやインターネット、電話から離れることではないかと思っているよ。自分だけの時間やスペースをもつことが、いまぼくにとってのラグジュアリーなんだ。

テクノロジーに囲まれた生活をしていると、ニュースから置いてけぼりにあっているんじゃないかとか、友達といつもつながっていないと不安だとか、スキマ時間を埋めたいなどいうように思ってしまいがちです。

しかし、北極観測に行っていたため、強制的にネットから1ヶ月も隔離された人の感想を読んでみると、常に情報を集め続ける必要がないことがわかります。

【参考リンク】

そして気づくのは、どれほど速くひとつの話題が消費され、吟味されつくされることなく次に移ってゆくのかという、スピードの速さでした。

ぱっと燃え上がる花火のように、一つ一つの話題はどうやら数日間から一週間は関心を集めていたものの、すぐにツイッターのトレンドからもきえて観測不能な領域に消えていきます。どんな大きなニュースでもそうでした。

それは現在の情報流通の効率の良さを表していることでもあり、かつ、どれだけスルー可能な情報が溢れているのかということの示唆でもあります。

私みたいな人間には100%のネット断ちはとてもつらいものがあるのですが、だからといって全ての話題に目を配ろうと情報収集ツールにすべてを集め続ける必要もないということがあらためてわかりました。

また、つながっていないと不安という人は、目の前にいる人とのコミュニケーションに集中できているでしょうか。

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今回の記事にあるように、いつでも繋がれるようになった現代にとっては、時にはテクノロジーから離れて、自然の風景を楽しんだり、目の前にいる人とのコミュニケーションだけに集中したり、自分だけの時間を持つということが、今の時代におけるラグジュアリーな体験といえるのかもしれません。

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