Facebookが考える究極のコミュニケーション技術は本当に必要なのか?


When sun used to play hideandseek...

by Eleazar(画像:Creative Commons)




売上の1/3をR&Dに投下するFacebook。ザッカーバーグが明かしたAIを研究する理由。

(2015/7/6、Scrum Ventures)

「人類のコミュニケーションの中で、まだ改善が必要な点がいくつかあると考えています。

一つ目は、人類がよりリッチな方法で情報をシェアする方法を得ているということです。かつては、テキストでしたが、今は主に写真になりました。これが将来は写真よりも動画がより主流になるでしょう。そして、さらに将来は、VRのような没入できる体験が来ると考えています。そして、さらにその先には、人類はいつでも好きな時に、感覚や感情を共有する手段を得ると考えています。

二つ目は、人類がより高い頻度でコミュニケーションする手段を得ているということです。かつては、目の前にいる人としかコミュニケーションできませんでした。そして、机の上に置かれる大きなコンピュータというものを得ました。そして今は、いつでも持ち歩ける素晴らしいデバイスがみんなのポケットに入っています。しかし、それは定期的にしか使うことができません。将来は、ARやその他のウェアラブルデバイスが、我々のコミュニケーションを改善するでしょう。

そしていつか、人類はそれぞれの思考を直接やりとりできるようになると信じています。あなたは考えていることをすぐに友人に伝え、友人は望めばそれぞすぐに経験することができます。それこそが、究極のコミュニケーション技術です。」

上記の文章は「Facebookは次に何するの?」という質問に対してマーク・ザッカーバーグが答えたものですが、私の考え方とはどうやら違うようです。

1.「今見ている風景を彼/彼女と共有したい」は不可能?

人類はいつでも好きな時に、感覚や感情を共有する手段を得ると考えています。

「今見ている風景を彼/彼女と共有したい」は不可能?では、人は他の人と感覚や感情を共有するというのは厳密にいえば不可能だと書きました。

それは、それぞれがそれまで見てきた景色、それまで学んできた知識、それまで経験してきたこと、すべてが違っているからです。

だからこそ、ある人にとってものすごく感動する物事であっても、他人からすれば、なぜこれほど感動するのかわからないということが起こりうるのです。

人は、今自分が見ている景色が他の人と同じように見えると思っています。

今自分が見ている景色は、意識的に見ているものと無意識的に見ているものが合わさってできるという複雑なメカニズムでできています。

そのメカニズムを噛み砕いて、とてもざっくりいえば、人は自分が見たいように見ているのです。

つまり、まったく同じ景色を他人と見ることはできないのです。

2.ARやウェアラブルデバイスがコミュニケーションを改善できるのか?

ARやその他のウェアラブルデバイスが、我々のコミュニケーションを改善するでしょう。

今のところ、「会う」以上のコミュニケーション手段はない!で紹介した英チェスター大学のサム・ロバーツ博士の調査によれば、電話を使った通話や携帯メールすらも、会って話すほどの満足は得られず、直接もしくはスカイプで対話すると笑いが50パーセント増しになり、幸せと感じる度合いがかなり増すことが明らかになったそうです。

つまり、新しいテクノロジーによって、電話やテキストメッセージよりもりよいコミュニケーションになる可能性は高いといえます。

しかし、それが直接会う以上のコミュニケーション手段になりうるのかどうかは疑問です。

今様々なテクノロジーが生まれていて、特に「触覚」について注目が集まっています。

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恋をすると、なぜ「触れたい」という感情が生まれるか?|映画「HER/世界でひとつの彼女」では、恋をすると面白いと思うのが、「触れたい」という感情がなぜか生まれることについて書きました。

触れたいという感情が生まれるのは、一つになりたい(一体化したい)、存在していることを実感したい、安心したい、といった感情が生まれるからではないでしょうか。

しかし、触れるためには、実にいくつかの条件が必要となってきます。

「触れる」ためには、触れる相手と体がそこに同時に実在しないといけないからです。

「見る」「聞く」ということは、現在のテクノロジーを持ってすれば、そこにいなくても感じることはできます。(直接会う場合と情報量は違いますが)

ただ、「触れる」ためには、そこに相手が存在していないといけません。

「愛撫・人の心に触れる力」(著:山口創)では、なぜ人が触れたいという欲求を感じるのかについてこのように書かれています。

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現代人が、「触れたい-触れられたい」という強い欲求を感じるというのは、単に物理的な皮膚への接触刺激が不足しているということではなく、人と感情を分かちあい、一体化することへの渇望であると考えられないだろうか。

希薄化する人間関係やヴァーチャルなコミュニケーションに偏った現代人は、他者の身体と私の身体が分け隔てなく感じられるような、密度の良い親密な関係を求めているのである。

自分と相手と感情をわかちあい、一体化したいということを「触れる」ということを通じて、感じあいたいのではないでしょうか。

確かに、触覚技術によって、以前よりもコミュニケーションは改善されると思います。

しかし、そうしてテクノロジーが生まれるほど、直接会うというのは素晴らしいコミュニケーション手段だと改めて感じるのです。

3.本当に究極のコミュニケーション技術とは、自分が考えていることをすぐに友人に伝え、友人は望めばそれをすぐに経験することができることなのか

あなたは考えていることをすぐに友人に伝え、友人は望めばそれぞすぐに経験することができます。それこそが、究極のコミュニケーション技術です。

「思考を直接伝えること」と「すぐ」という言葉が印象的ですが、それが本当に究極のコミュニケーション技術に欠かせないものなのでしょうか。

思考が直接伝わらないからこそ面白いのではないかと思うのです。

伝えたいけど伝わらないから、どうにかしようと伝えようとする。

それがコミュニケーションなのではないかと。

そして、「すぐ」じゃないからこそコミュニケーションはもっと穏やかだったのではないかと。

「ロマンチックなものの総量」を多くする生き方では、昔は、簡単に会ったり、つながることができなかったからこそ、相手のことを思い考える時間があったのではないかと書きました。

もし、直接そしてすぐに相手と思考をつなげるとしたら、相手を思いやり、考える時間がなくなってしまうのではないでしょうか。

そうなるということは、相手のことを考える時間が少なくなり、相手のことを考えているようで実は自分の都合だけしか考えていないというようになるのではないでしょうか。

コミュニケーションに関してはもっと別の視点、今回でいえば「ロマンチック」のような視点が入るとまた違うものが必要になると思います。

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■まとめ

くれぐれも私はテクノロジー否定派ではありません。

ただ今の主流が「便利」「効率」を求めすぎているのではないかというのが気になるだけなのです。

もっと別の考え、たとえば「人の温かさ」「ロマンチック」「ワクワク」といったものが重要であるという視点から見れば、きっともっと面白い世界になるのではないかなと期待しています。