あなたは自分の人生を面白くない普通の人生を選んだかもしれないとふと考えたことはありますか?





View from Tokyo Tower which looks like a miniature

by Takashi Hososhima(画像:Creative Commons)

変化のない、普通の人生を生きているのではないかという恐怖

(2016/4/4、Lifehacking)

Koinophobia: The Fear that You’ve Lived an Ordinary Life

とりたててなんの不自由もないのに、自分の人生が思っていたのとは違う、普通で、面白みのない、とるにたらないものに思えてくる焦燥感を感じたことがあるでしょうか。

満足いく人生を送っているのに、ふとこれが本当に自分にとっての最高の人生なのかと問いたくなる瞬間があるものです。

人生の二択に迫られたとき、もしあの時あの道を選んでいたら、全く違う人生を選んだかもしれないなと振り返ったことがある人もいるのではないでしょうか。

これはわかっていてもどうしようもない衝動のようなものなのでしょうが、きっとその時は自分にとって何が幸せなのかを見失っているのかもしれませんね。

私たちは心の中にとっておくべき瞬間が分かっていない?!|人は普通の日常を思い出すことで幸せを感じるによれば、人はごく普通の何気ない平凡な日常を思い出すことで幸せを感じるそうです。

今この瞬間とは何気ない日常で、まるで当然のものと思ってしまい、非日常の特別な一日を記憶にとどめておこうとしてしまいがちです。

実は、私たちは心の中にとっておくべき瞬間が分かっていなかったのです。

写真の撮り過ぎで記憶が薄れる?で紹介しましたが、米フェアフィールド大学の心理学者、リンダ・ヘンケル氏の研究によれば、写真を撮ることによって、記憶することを写真に頼ってしまい、忘れっぽくなってしまうそうです。

大事な一瞬を写真や映像に残したいという気持ちはわかりますが、過剰に撮るのは大切な瞬間を味わえていないのかもしれません。

人間の眼はもっと広く見ることができるにも関わらず、カメラのレンズ越しに覗くということは、カメラの四角に切り取られてしまうということです。

「俺たちのフィールド」というマンガで日本が初めてワールドカップに出場が決まる瞬間があり、そこで日本代表を追いかけていたカメラマンの女性が言ったセリフが印象的です。

「ファインダー越しなんか・・・もったいなくって」

「私はこの瞬間が観たかったんだ」

本当に見たいものはカメラのファインダー越しで見るよりも、自分の目に焼き付けたいと思うものではないでしょうか。

もっと何気ない日常の一瞬一瞬を五感で感じるようにすれば、その何気ない日常は人生にとってかけがえのない一瞬一瞬に変わることでしょう。







【関連記事】

P.S.

生きてるっていうこととは?

自分にとって最も大事だと感じたことをすることが未来につながるのだと思う。

一生懸命生きた今は、過去の美しい思い出となる。

一生懸命生きた今は、未来となる。

 

今という時代は、周りの言葉に惑わされやすい。

いろんな人がいろんな場所で発した言葉が飛び交っているから。

でもそんな言葉の中には嘘が混じっている。

「本当のような嘘」

「嘘のような本当」

「嘘のような嘘」

自分の感覚を研ぎ澄ませないといけない。

 

もっと今を楽しんで。

時間に追われることなく、時間をコントロールするわけでもなく、時間とともに、今を生きよう。

 

生きるっていうことは時には苦しくつらいときもあるだろう。

何かに押しつぶされそうになるときもあるだろう。

でも、それは自分が作り出した現実。

自分の目線を変えれば、その現実は違ったものに見えてくる。

もっと人生を楽しんで。