「アップデート・シティ(更新都市)」|既存の言葉・価値観をアップデートし、シームレス・インタラクティブ・非言語のレイヤーを重ねる


Champs-Élysées Tilt-Shift

by Brian Holland(画像:Creative Commons)




今回のアイデアは、落合陽一さん、猪子寿之さん、宮本茂さん、岩田聡さん、糸井重里さん、「アート×テクノロジーの時代」(著:宮津大輔)の考え方や言葉をベースに考えたものです。ありがとうございます。

■本当の意味での「多様性(ダイバーシティ)」について取り組むには「人間中心社会」からの考え方のアップデートが必要

Society5.0とは、「狩猟社会(Society1.0)」「農耕社会(Society2.0)」「工業社会(Society3.0)」「情報社会(Society4.0)」に続く、AI(人工知能)や IoT といったテクノロジーによる未来社会として掲げられた「超スマート社会」というコンセプトです。

参考画像:Society5.0・Connected Industriesを実現する「新産業構造ビジョン」(2017/5/30、経済産業省)|スクリーンショット

参考画像:Society5.0・Connected Industriesを実現する「新産業構造ビジョン」(2017/5/30、経済産業省)|スクリーンショット

Society5.0とは、

Society5.0・Connected Industriesを実現する「新産業構造ビジョン」

(2017/5/30、経済産業省)

「必要なもの・サービスを、必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供し、社会の様々なニーズにきめ細かに対応でき、あらゆる人が質の⾼いサービスを受けられ、年齢、性別、地域、⾔語といった様々な違いを乗り越え、活き活きと快適に暮らすことのできる社会。」(第5期科学技術基本計画)

と書かれています。

ただ、内閣府によるSociety5.0とは、

Society 5.0|内閣府

サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)

とあり、「人間中心の社会」を目指している点が気になります。

この考え方は新しいようでいて、実に近代の考え方の延長線上にある考え方です。

近代の考え方では、人間は自然と対立して、自然を克服することで、人間社会を作り上げようとしてきました。

しかし、近代以前の日本では、私たちは自然の一部であったのではないでしょうか。

超主観空間|チームラボ

むかしの日本の人々にとって、自然とは観察の対象ではなく「我々自身も、自然の一部である」と考えているようなふるまいをしていた。
それは、何かの考えや思想によって、自然の一部であるようなふるまいをしたのではなく、単に、むかしの日本の人々は、自分が見えている世界の中にいるモノたちになりきったり、自分が見えている世界の中に自分がいるような感覚を感じやすかったから、そうしたのではないかと思うのだ。つまり「超主観空間」で世界を見ていたから、自分と世界との境界がないような感覚になりやすく、そのようなふるまいになったのではないだろうかと考えている。

西洋の遠近法や写真のように世界を見ているならば、自分と、自分が見えている世界が完全に切り分かれ、はっきりとした境界ができ、自分が見えている世界に自分は存在できません。つまり、世界は、観察の対象となる。だからこそ西洋では、サイエンスが発展したのかもしれない。

超主観空間という考え方は、自然と人間とを対比した関係に置くのではなく、世界と自分が溶けあっていくような考え方だと思います。

なぜ、人間中心の社会ではなくて、人間と自然が一つになった社会のほうが良いのでしょうか?

人間中心社会という考え方というのは、極端に言えば、リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」という言葉を引用した、「人間の人間による人間のための社会」であり、標準化することによって、人間の抱える問題を人間が解決する仕組みの社会だったわけです。(このあたりは落合陽一さんの考え方を参考にさせていただいています)

最近では「多様性(ダイバーシティ)」という言葉が注目されていますが、男女平等やLGBTQのような多様性を求めてはいても、現状は、人間が社会を成り立たせるために標準化をすることによって切り捨ててきたままなのです。

つまりどんなに「多様性」を叫ぼうとも、「多様性」の本質部分には迫れていなかったわけです。

本当の意味での「多様性」を実現させるためには、自分自身でありながら、好きなように生きても社会が成立する世界になる必要があるわけです。

「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」
“something which solves multiple issues at once”.

任天堂の宮本茂さんが考えて、任天堂の岩田聡さんとほぼ日の糸井重里さんが広めた言葉です。

アイデアというのはなにか

(2007/8/31、ほぼ日)

問題となっている事象の根源を辿っていくと、
いくつもの別の症状に見える問題が
じつは根っこでつながってることがあったり、
ひとつを変えると、
一見つながりが見えなかった
別のところにも影響があって、
いろんな問題がいっしょになくなったりする。

最近では、多様性という問題が世界で注目されるようになりましたが、一つの問題を解決しようとすると、「あちらを立てればこちらが立たず」というようなトレードオフの関係になってしまっている印象を受けます。

なぜこのようことになっているのかと考えたのですが、それは、問題の本質ではないものにフォーカスを当ててしまい、結局はまた問題が残ってしまっているのではないかと思うのです。

そして、問題の本質というのが「人間中心の社会」という考え方にあるのではないかと思うのです。

だからこそ、これからは、超主観空間の考え方のように「我々自身も、自然の一部である」というように視点を切り替えて、世界は観察する対象ではなく、自分と世界との境界はないという考え方にアップデートしていく必要があるのではないでしょうか?

この考え方にアップデートすることで、多様性という問題に真の意味で取り組めるようになると思うのです。

チームラボの「秩序がなくてもピースは成り立つーDiorama」は、キャラクターたちが踊ったり、楽器を演奏したりして、鑑賞者の存在にインタラクティブに反応する作品です。

Peace can be realized even without order / teamLab exhibition “We are the Future” (beta ver.)

「アート×テクノロジーの時代」(著:宮津大輔)

アート×テクノロジーの時代 社会を変革するクリエイティブ・ビジネス (光文社新書)

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従来の社会が「抑制こそ秩序」であり「秩序こそ平和」と捉えていたことに対し、作品タイトルが示す通り、新しい時代の平和は「悪」や「異物」の排斥、禁止ではなく、「良」や「快」の推進こそが鍵であるというコンセプトに基づいています。

言い方を変えれば、一切の秩序がないにもかかわらず、祭りの中で人々が解放される時に感じる非常にピースフルな感覚を、デジタル技術で可視化したものといえるかもしれません。p54

抑制や秩序によって締め付けたり、切り捨てていくのではなく、祭りの中で感じられる開放的な感覚のままに生きられる世界が真の意味での「多様性」がある世界なのかもしれません。

「我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。 あるとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。」(攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 第5話.)

■近代化された明治の言葉(明治翻訳語)を使わず、旧く新しい考え方・言葉で都市をアップデートしよう!

そして、もう一つ必要だと思うのが、言葉のアップデートです。

私たちは明治以降に作られた明治翻訳語をベースに物事を考えているのですが、この言葉が現代とそぐわなくなってきているのではないかと思うのです。

【参考文献】

近代に生まれた言葉はたくさんあり、その言葉を基に私たちはモノを考えているのですが、例えば自然という言葉には「翻訳語成立事情」(1982、岩波新書、柳父章)を参考にすると、「おのずからそうなっているさま。天然のままで人為の加わらぬさま」とあります。

つまり、自然とは「手つかずのもの」という意味です。

しかし、もし「自然」が人為的なものであってもそれが気付かないものであったら、それは自然であるでしょうし、また、山や森を守るために人の手を入れていることは果たして自然ではないと言い切れるでしょうか。

つまり、自然の意味もとらえようによってはアップデートできるのです。

自然とは観察の対象ではなく「我々自身も、自然の一部である」という考え方をベースに、自然という言葉の意味をアップデートすることができれば、自然のとらえ方もアップデートされます。

これから、「情報社会(Society4.0)」に続く、AI(人工知能)や IoT といったテクノロジーによる未来社会を目指すのであれば、明治以降に生まれた近代語をそのまま使うのではなくて、この時代にあった言葉の意味にアップデートをする必要があるのです。

荘子の胡蝶の夢-物化の構造と意味-(橋本敬司)

万物が我と一体である荘子において、言語によって一だと説くこと自体が、言語によって世界を分断し、世界が一つである世界を破壊してしまう行為であった。つまり、現実世界は、言語的に作り出された幻想にすぎなかったのである。

■「アップデート・シティ(更新都市)」

アップデート・シティにおけるOSのようなベースとなる考え方は、「我々自身も、自然の一部である」という考え方です。

まずはこの基本的な考え方がなければ、この上に築かれるものは砂の上の楼閣のようにすぐに崩れ去ってしまうでしょう。

次に、参考にしたのは、チームラボの「Digitized Nature, Digitaized City(デジタイズド・ネイチャー、デジタイズド・シティ)(自然が自然のままアートになる、街が街のままアートになる)」という考え方です。

Tokushima Digitized City Art Nights – teamLab Luminous Forest and River

a forest where gods live: teamlab unearths digital artworks across mifuneyama mountain

【参考リンク】

「アート×テクノロジーの時代」(著:宮津大輔)

都市や自然の一部に光や音といった非物質的要素を付加し、センサーや通信ネットワーク等のデジタル技術とつなげることで、人々の行動や状況変化に対しインタラクティブな反応を発生させるものです。つまり、元々有していた場所のパワーをデジタルの力で増幅させることで、その「場」自体をアート作品にするという全く新しいタイプのパブリック・アートといえます。p215

何も加えず、何も壊すことなく、今あるものをすべて使いながら世の中に新しい価値を生み出す p218

建物を壊したり、新たに建てたりしなくてよい「デジタイズド・シティ」や、自然の中にアートがあるのではなく、自然そのものが自然のままアートになる「デジタイズド・ネイチャー」によって、新しい世界が広がってゆくべきである p251

「2045年は今よりあたたかく、(あらゆるものが)融合された世界となり、都市も画一化されたものから、ローカライズ(地方化)されたものに変わっていくでしょう」と予想しています。p252

都市を再構築すると考えると、破壊と創造を頭に浮かべる人もいるかもしれません。

今回掲げたアイデアは「アップデート・シティ(更新都市)」という名前の通り、都市を最新のものに更新するという考え方です。

最新というと古いものを壊すというイメージがあるので、今回は更新という言葉にしました。

大事なのは、建物を壊すのではなく、今あるものを使いながら、元々有していた場所のパワーをデジタルなどの力で増幅させることで、新しい価値を生み出し、都市をアップデートすることにあります。

そして、この「アップデート・シティ(更新都市)」の考え方のレイヤーに、「シームレス(継ぎ目がない)」と「インタラクティブ(双方向性)」と「非言語」という考え方のレイヤーを重ねます。




●シームレス

世界から「重力、ゲート、繋ぎ目」はなくなる。メディアアーティスト落合陽一さん2

(2015/11/3、東大新聞オンライン)

2つ目、ゲートをなくすこと。

この世界にはゲートが多すぎる。大体が人の労働コストに縛られた改札構造だと思う。都市の特徴。

本当は電車から降りた瞬間に、改札なんかに集まらずに自由な方向に向かって行ったっていいわけじゃん?
なのになんで改札があるかというときっとホワイトカラー時代の名残で、誰かが観察して、警備して、管理する必要があったから。つまりそれって、マンパワーの労働力を基準にして人間の行動が束縛されてきた訳で。

でもそんな束縛はコンピュータ時代には不要だと思っていて、人間は自由な方に自由に行っていいはずだし、ゲートが一個もない地下鉄とか、レジがないコンビニとかがあってもいいよね。

こういった都市構造自体の再定義をデジタルネイチャー時代にどうやっていくかには、すごい興味がある。

「黒川紀章ノート」にこのように書かれています。

黒川紀章ノート―思索と創造の軌跡

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農業化社会は実は工業化社会に非常に近いということに気づいたのである。

両方共、人は、決まった時間に決まったことをやっていればいい。農業は、月が出たらどうするとか、何月にはこうすると、季節によってきちんとすべきことが決まっている。

それは、工業も同じだ。工場も、屋内の畑のようなもので手順がきちんと決められていて、それにしたがって作業が行われている。

だが、情報化社会は違う。ここでは決まったやり方というものはない。人々は、常に情報を集め、それによってアドホックに動く。

※アドホック:「特定の目的のための」という意味

現在存在する都市は、決まった時間に決まったことをやる、人々はそれを実行し、管理していくという農業化社会・工業化社会の考えに基づいて作られて都市が作られているのではないかということ。

情報化社会といわれて久しいですが、実際の私たちの都市は情報化社会に合わせた都市づくりにはなっていないのかもしれません。

情報化社会では、生きるために必要な情報をより早く仕入れ、それに基づいてすばやく動いていくという遊牧民(ノマド)のような人が生き残る社会です。

そういう人たちにとっては、「ゲート」というものは行動を制限してしまうかもしれません。

「黒川紀章ノート」

メタボリズムの方法論では、都市の遊びの空間について、こう展開している。

「高度に秩序化された都市は、同時に魚釣りを楽しみ、虫の音を聞き、スポーツを楽しむ都市でなくてはならない。高度に機能化されたオフィスや工場は同時に、自由な思索の場であり、遊びの場でなくてはならない。しかしこの両端を妥協的に調和させるのではなく、それを対立的に劇的に共生させることが都市の中にドラマティックな緊張感を作り出す」

今は働く場所と生活する場所、遊ぶ場所は分かれています。

これは、ある種「ゲート」で管理されているともいえるのではないでしょうか。

新しい都市の発想から考えれば、新しい都市では、働きながら(働くということも将来はどうなるのかわかりませんが)、遊びながら、生活しながらということを一続きにシームレスに行なえるようになっていくでしょう。

人間の身体には繋ぎ目はほとんどないように、コンピュータは物体と物体の間につなぎ目のない社会を作り、そして、さらには人間と物体とのつなぎ目もなくしていく世界になるでしょう。

●インタラクティブ

なぜインタラクティブ(双方向性)である必要があるのかということについては、鑑賞者同士の関係性に互いに影響を及ぼしあうという点と、一期一会の考え方にあります

猪子寿之の〈人類を前に進めたい〉第4回「モナ・リザの前が混んでて嫌なのは、絵画がインタラクティブじゃないから」

(2016/4/5、PLANET)

 これが面白いのは、他の人の振る舞いでアートが変化しているのを、第三者的に見て面白がってることなんだよ。
 インタラクティブというときに、みんな「自分の振る舞いで作品を変えること」を考えていると思う。でも、それってデジタルゲームに代表されるように、「自分と作品」の一対一関係になってしまう。そこには他者がいない。だけど、こういう作品を上手く設計すると、同じ空間にいる「自分と他者」の関係をポジティブに思える気がするんだよね。
 その意味で、僕は自分がインタラクションする必要すらないと思ってるの。むしろ第三者の視点で見て、同じ空間にいる他の人が作品の一部みたいになることがすごくいいと思うし、そうすることで同じ空間にいる人々同士の関係性をポジティブに変化させたいんだよね。

<中略>

 これまでの人類は「他者の存在は人間にとって不快なもので、だからこそちゃんと受け止めるのが人間としての成熟だ」みたいな議論をしてきたわけだよ。でも、猪子寿之は現代のテクノロジーと洗練された表現を使えば、それをポジティブなものに転化できると信じている。理解もできないし、コントロールもできない他者が周囲にいることは、我慢して受け入れるものではなくて、むしろポジティブに捉え直せるんじゃないかと思っている。

チームラボでは「デジタルアートがその場の鑑賞者の関係性に影響を与える」という考えを持っていて、人々の存在によってアート作品がポジティブに変化すれば、鑑賞者もポジティブな受け取り方をすることにより、関係性がポジティブなものになると考えています。

これまでの考え方は、他者を排斥する存在や我慢して受け入れる存在としてきましたが、チームラボの考え方は、ポジティブなインタラクティブ性があれば、自分と他者という関係性がポジティブなものに変化するのではないかというものです。

もう一つは、一期一会の考え方があります。

「一期一会」とは、一生で一度の出会いという意味だけではなく、今というこの機会は二度と繰り返すことのない瞬間なのだから、その今をいかに大事にするかという意味が込められています。

一期一会の考え方を大事にしているのが、「能楽」なのだそうです。

「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」という能舞台と最後の桜見

(2011/9/28、本気新聞)

能楽とは、他の演劇とは違って、本番の一回性に特別な意味を置く芸能である。
例えば、能に関する対談本(「能・狂言なんでも質問箱」)の中では、能の演目・「道成寺」の落ちてくる鐘に入る場面の稽古に関してこんなことが記されている。

葛西(聞き手):現代の言葉で言うリハーサル、何回か出来るんですか。
出雲(シテ方喜多流):1回ぐらいです。だけど、鐘には入りません。
葛西:入らないで。どうやって稽古するんですか。
出雲:申合せっていうのが二三日前にあるんですが、そこで鐘に向かっていって、さっきみたいにやるんです。しかし、申合せで、本来の位置を少しずらして、同じタイミングで、こっちはドン、ドンとやって、ピョンと飛び上がるときに、向こうで鐘をドーンと落とす。
葛西:つまり別々に稽古して、本番一回きりなんですか。
出雲:はい。
山崎(シテ方喜多流):本番で初めて入るんですからね。

能楽において、その本番の一回がどのようになるかは、演者も想像出来ない部分を残すということなのである。
その意味で、能楽とは、再生芸術ではない。

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能楽は「一期一会」を大事にしていて、能の上演は一日限りが原則なのだそうです。

そして、能楽においては本番の一回性を大事にしていて、演者にとっても想像のできない部分を残した、巡り合わせのようなものを大事にしている芸術といえます。

インタラクティブであるということも同じではないでしょうか?

その空間に偶然居合わせた人たちと互いに影響を及ぼしあうという「一期一会」の考え方によって、この機会は二度と繰り返すことのない瞬間なのだから、その今をいかに大事にするかという考え方がもたらされるのではないでしょうか。

●非言語

「アート×テクノロジーの時代」(著:宮津大輔)

つまり言語化される時点で多くの情報が抜け落ちるため、データ量が多く自由度の高い(加工前の)ローデータの方が優れている点。さらに言語化、記号化された時点でコピーが容易になる点から、情報伝達における優先順位が、体感(写真)言語になるという考え方です。p40

「すごいテンションが上がったり、すごい感動したり、でもそれを言葉で説明することができないような感動の領域があって、その『言葉にできない領域』は、論理がないので再現性がない。(他の企業がコピーできない)そういったものがこれからの社会では差異を生むと思っています」p65

自分が伝えようとしたメッセージとは違った受け取られ方をしてしまうような、言語化することで大事な情報がこぼれ落ちてしまうという経験をしてことはありませんか。

本当はそのこぼれおちた部分のほう、例えばニュアンスが大事だったにもかかわらず、言語化することで上手くニュアンスが伝わらず、人を傷つけたり怒らせてしまったという経験は誰しもが経験したことがあると思います。

だからこそ、都市全体を非言語化することができれば、よりデータ量が多く、しっかりと情報を伝えることができるのではないでしょうか。

また、感情が高ぶったときなど言葉にできないことというのは、言葉にできない=論理的ではない=再現性がない、ということなので、非言語をベースにする都市というのはコピーをすることができないため、非常に価値の高い都市になるのではないでしょうか。

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●アニミズム的思想とIoT

「アート×テクノロジーの時代」(著:宮津大輔)

日本では、古来、神や精霊、霊魂を、身の回りのあらゆるものに見るアニミズム思想が存在し、それらを八百万の神と呼んで敬っています。山や巨木をはじめ、トイレや台所、はては米粒の中にまで神様がいると考えられているのです。また、長い年月を経た道具にも付喪神として神や精霊が宿るといわれています。p269

ただ技術が大きな社会変革を起こすときこそ、世の中全体が同じ方向を目指すのではなく、そこに「他との違いを認め許容・共存する」考え方や「複眼的、多視点」であることが何よりも重要である p278

日本で根付いていた身の回りのものに、神様や精霊などが宿るという考え方が大事にされてきました。

妖怪や幽霊もある種この考えに近く、だからこそ妖怪や幽霊に関するマンガやアニメを受け入れやすかったのではないでしょうか。

そして、この考え方は、IoTについて考えるときに役立つと思います。

モノに命が宿るという考え方がある日本こそ本当の意味でのIoTを活かすことができるのではないでしょうか。

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■まとめ

今回の考え方のポイントは、既存のモノや言葉、価値観を破壊するのではなく、アップデートすることにあります。

壊すのではなく、言葉や価値観をアップデートさせることで、今あるものの、元々有していた力をテクノロジーなどの力で増幅させることで、新しい価値を生み出し、都市をアップデートすることを目的としています。

そのためには、多くの人とのパートナーシップが重要です。

『サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る』(著:スティーブ・ケース)では、第三の波(あらゆるモノのインターネット)によって、あらゆるモノ・ヒト・場所が接続可能となり、従来の基幹産業を変革していく中で、企業や政府とのパートナーシップが重要になると書かれています。

サードウェーブ 世界経済を変える「第三の波」が来る (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)

第二の波では、インターネットとスマートフォンの急速な普及によってソーシャルメディアが激増し、盛況なアプリ経済が誕生した。その中でもっとも成功を収めたスナップチャットやツイッターのような企業は、小規模なエンジニアリング・チームからスタートして一夜にして有名になり、第一の波の特徴であったパートナーシップをまったく必要としなかった。しかし、こうしたモデルは現在がピークであり、新たな時代は第二の波とはまったく違う―そして最初の波とよく似た―ものになることを示す証拠が増えている

「IoT」といった「第三の波」で社会は大きく変化をしていきますが、社会問題を解決する手段として、これからますますいろんな人たちとのパートナーシップが重要になってくるでしょう。

「アップデート・シティ」においても大事なことは、言葉や価値観のアップデートを基にして、多くの人たちとのパートナーシップになることだと思います。







P.S.

日光東照宮の陽明門には一本だけ逆柱があることで知られています。

逆柱|Wikipedia

日光東照宮の陽明門はこの逆柱があることで知られている。柱の中の1本だけ、彫刻の模様が逆向きになっているため、逆柱であることがわかる。しかしこれは誤って逆向きにしたわけではなく、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承を逆手にとり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いをさけるという、言わば魔除けのために逆柱にしたとされている。

完成したものが最も価値があるのではなく、未完成・不完全な状態であることを意識的に維持することによって、逆に永遠としての価値を求めようとしているような考え方ですよね。

このことを考えているときにこうしたコメントを見つけました。

keita_rebootのコメント|はてなブックマーク

「日本には、元来わざと完成させないことで流動性を維持するという知恵がありました。すべてを完成させてしまったら流動が止まってしまうからです。」

水が流れず、たまっている(よどんでいる)とゴミが溜まって腐ってしまうとよくいわれますが、これからの考え方は完成させないで常にアップデートし続け、流動性を維持するという考え方が主流になっていくのではないでしょうか?