by Illusive Photography(画像:Creative Commons)
「#コンビニ人間」と「#逃げ恥」に共通するのは、人は他人に対して何らかのレッテルをはることで安心してしまう生き物だということ。
レッテルをはることなくその人自身を見よう。
星野源『逃げるは恥だが役に立つ』第7話ラストの意味を語るhttps://t.co/xdSyjauGDx— ハクライドウ (@hakuraidou) 2016年12月3日
今話題の「逃げるは恥だが役に立つ」と芥川賞を受賞し、「アメトーーク!」(テレビ朝日)で読書芸人が絶賛していた「コンビニ人間」は、全く見た・読んだ感想は違いますが、設定やテーマには近いものがあるように感じます。
一番感じたことは、両方とも人間は他人に対して「レッテル」を貼りたがる生き物だということ。
「コンビニ人間」においては、ある人物が人間とはこういうものだというカテゴライズした生き方から外れていた場合、不安や恐怖を感じさせる存在になってしまうことが描かれています。
「逃げ恥」においては、そのようなシーンは描かれていませんが、結婚せず仕事に生きた女性に対して、男性も女性もある種のレッテルを貼ってしまったり、異性愛か同性愛かでその人がどういう人物であるかとレッテルを無意識のうちに貼ってしまっていてそのことに落ち込んでしまうシーンが描かれています。
結婚をせずに仕事に生きている女性も同じように無意識にレッテルを貼っているシーンがあり、新婚夫婦とはこういうものだ新婚夫婦の在り方についてのレッテルを貼っていたり、仕事に生きる女性としての自由をつかむために、結婚という選択肢をとらない覚悟ともいうべき決断をしているのですが、それさえもレッテルに縛られてしまっているように感じます。
2つの話から感じたことは、その人にレッテルを貼ることなく、その人自身をいかに見るかということです。
「どんな選択をしようとも、自分を自分のままで見てくれる」、そんな人がいてくれるだけで、人はもっと自由になると思います。
そして、そんな自分でいることは、他人を自由にするだけでなく、自分自身の存在さえも自由にしていくのです。
人には欠点のない完璧な人間などいないと思います。
バラク・オバマが伊藤穰一に語った未来への希望と懸念すべきいくつかのこと|WIRED
人を人たらしめているのはわれわれの欠点だ。突然変異や外れ値や欠陥があるからこそアートや発明といったものがある。違うかな?
完璧なシステムがあったとしたらそれはどんなものか。おそらくスタティックなはずだ。人間を人間たらしめるのは何か、われわれを生かしているのは何か。ダイナミックであることや驚きだ。そう考えると、驚きを排除してすべてが精緻に間違いなく動くことは、いつ、どのような状況においてであれば望ましいのか、という問題になる。
人の中には突然変異とでもいうべき、多くの人からは理解できないような発想をする人がいます。
しかし、そういう人がいるからこそ、アートが生まれたり、発明が生まれているのですが、その人たちでさえも現代はレッテルを貼って、生きづらい世の中にしてしまっているのです。
そんな人たちを受け入れられるような寛容な世界であるといいのですが、今の時代はそうした寛容さが失われています。
寛容な世界というものはどういうものか、例として頭に浮かんだのは、落語の中に生きている人たちです。
落語に触れた経験といえば、NHKの「ちりとてちん」であったり、TBSの「タイガー&ドラゴン」、アニメ「昭和元禄落語心中」ほどのささいなものですが、落語の世界というのは、どんなダメな人間も受け入れてくれる世界だという認識はあります。
「人間の業を肯定してくれるのは落語だけだよ。一生懸命やれって言わないでしょ。一生懸命やったけど、やっぱり駄目だったってね」…「立川談志さん死去」の報に接して思い出した、あの至言。
(2011/11/24、病床軟弱)
「人間の業を肯定してくれるのは落語だけだよ。一生懸命やれって言わないでしょ。一生懸命やったけど、やっぱり駄目だったってね。人生って失敗と恥ずかしさの連続よ。そう言わないと、俺の所業も説明がつかないけどね。だから疲れたら落語を聞いているのがいいよ。落語っていうのは慰めてくれるから」
立川談志さんは「落語とは、人間の業の肯定である」といったそうです。
人生には成功もあって、失敗もあって、ほとんどの人は一生懸命努力しても失敗続きの人生かもしれません。
だけど、落語の世界に生きる住人は、そんな失敗をした人や欠点がある人を受け入れてくれています。
落語の世界とまではいかなくても、そんないろんな人を受け入れる寛容な世界になるといいですね。
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