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「自分は幸運だ」と思えば、本当に「幸運」になれる確率が高くなる!?

Lucky day

by FromSandToGlass(画像:Creative Commons)




このブログでは、幸せになる方法について定期的に取り上げています。

【関連記事】

今回紹介する記事は、自分が幸運な人間だと信じることは、実際に幸運になるかどうかに大きく影響する可能性があるという興味深い記事です。

「自分は幸運だ」と思えば、本当になれる確率が高くなる。(調査結果)

(2014/6/12、ハフィントン・ポスト)

記事に中で紹介されているのは、ナショナルジオグラフィックの実験。

実験内容は、街にいる人々に、まず自分を幸運かそうでないかを訪ね、次に新聞を渡して新聞に乗っている写真の数を10秒以内に数えることができたら、20ドルの賞金をプレゼントすると伝えるというもの。

すると驚くことに、「幸運」な人々は、「不幸」な人々と比べて、賞金を持ち去る人が3倍多かった。

その秘密は、物事に対処するやり方にあるようだ。実は、新聞の2ページ目に、同番組のホストが写っている写真があり、「7枚の写真を見たとインタビュアーに伝えれば20ドルを差し上げます」と被験者に指示する吹き出しが付いていた。そして、自らを「幸運」だと言う人々は、この吹き出しに気づく確率が高かったのだ。

幸運だという人は、不運という人に比べて、実際においても幸運だというのは面白い結果ですよね。

なぜ幸運だという人は実際においても幸運だと考えられるのでしょうか?

なぜなら、自らを「幸運」だと言う人々とは、予想外の機会や、突然巡ってきたチャンスに対してオープンであり、それらを進んで受け入れるタイプの人たちだからだ。

幸運だという人は、偶然やチャンスに対して、「そんな偶然やチャンスがあるわけない」と思うことなく、 進んでそれを受け入れる考えであるようです。

ワイズマン氏は、自身の著書『運のいい人の法則』の中で、「幸運な人々は、人生において新しい体験を進んで受け入れる。(中略)彼らは慣習に縛られることが少なく、予想外のことが起こりそうな雰囲気を好む」と述べている。同氏はまた、自分を幸運だと考える人は、人生のあらゆる側面で幸せをみつける(逆に、自分を不運だと考える人は、人生のあらゆる側面で不運さをみつける)とも指摘している。

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ここからは想像ですが、幸運だという人も、不運だという人も、同じくらい幸運と不運があるのだと思うのですが、幸運な人はそのようなことから幸運なことにできるだけ目を向け、そして不運な人は不運なことに目を向けているのではないでしょうか。

要するに、何にフォーカスをしているか、ということです。

今自分が見ている風景は、自分の心を投影しているという話を聞いたことがあります。

幸せな人は自分の心が幸せだからこそ幸せなことに目を向けやすいのでしょう。

あなたがもし幸運な人になりたいならば、自分がいかに恵まれているかを考えてみるとよいのではないでしょうか。







P.S.

日本に生まれていること自体で、すごく幸運なことだと思っています。

「パーフェクトなタイミングなんてないんだ。時には思い切ってジャンプしてごらん。」


参考画像:Pinterest




デザインのステキな海外の名言集【ほぼ毎日更新】

You can not always wait for the perfect time, sometimes you must dare to jump.

パーフェクトなタイミングなんてないんだ。

時には思い切ってジャンプしてごらん。

新たなチャレンジをしようとするとき、完璧なタイミングを待ってしまう人もいるでしょう。

もしかすると、本当にパーフェクトなタイミングというものがあるかもしれません。

でも、あまりにも慎重になりすぎてしまい、チャレンジすることさえもあきらめてしまうこともあるのではないでしょうか。

時にはエイと飛び込んでしまった方がよいときもあるはずです。







あなたは「夢のはじまり」に気づいたことがありますか?

The Science of Dreams.

by Lauren Hammond(画像:Creative Commons)




「今日こんな夢見たんだけどさ・・・」

「夢か、すごく嫌な夢だった・・・」

夢を見たことは誰しもが経験したことがあると思います。

ただ、夢の終わりを覚えていても、夢の始まりをはっきりと認識している人はいないのではないでしょうか。

夢の終わりというのは、目覚める直前なので、鮮明に覚えている人もいるかと思うのですが、夢の始まりというのは、「はい、ここから夢です」といって始まるわけでもなく、なんとなくこれは夢だなと思ってみているわけです。

つまり、何を言いたいかというと、よく夢を持ちなさいといわれても、何が夢なのかわからないと悩んでいる人は、実はすでにその状態も夢の始まりかもしれないということです。







【関連記事】

近代の科学のパラダイムを打ち破るカギは人間の心を動かすこと!?

I hope that's not her poker face.

by Jamie McCaffrey(画像:Creative Commons)




ソニー創業者・井深大が2400人の幹部に発したパラダイムシフトという遺言

(2015/10/27、newswitch)

大衆の人全部が全然信じて疑わないこと、これがパラダイム

『マジックにだまされるのはなぜか 「注意」の心理学』(著:熊田孝恒)を参考にすれば、人間がもつ環境中の常識とも言える物理学的、生物学的ルールは次のようなものが例として挙げられます。

●「物体の永続性」

物体は何もしなければその場にあり続ける、ということを我々は知っている。

物体の永続性の概念は、生後5ヶ月程度の乳児にもあることが知られている。

●マジックの基本となる知識

  • 何もないところから突然物体が現れることはない。
  • 物の形は力が加わらなければ変わらない。
  • 上に投げたものはやがて落ちてくる。
  • 物はある場所から別の場所に瞬間移動しない。
  • 壊れたものは、簡単にはもとに戻らない。
  • 固形物が固形物の中を通り抜けることはない。
  • 人間の体は切れたら簡単にはつながらない。
  • 人間の体がありえない方向には曲がらない。

井深大さんのいう「パラダイム」とは違った捉え方をしているかもしれませんが、広義の意味で捉えれば、人が当然これは常識だと考えていることをパラダイムとします。

「デジタルだ、アナログだ」なんてのは、ほんと道具だてにしか過ぎない。これは技術革新にも入るか入らないくらい。

この意見を参考にすれば、ある問題を解決するにあたって、デジタル・アナログというのはアプローチの手段であって、本質的にはあまり関係がない。

問題を解決することが重要なのだから。

我々は現代の科学とういうもののパラダイムをぶち壊さなきゃほんとじゃない。物質だけというものの科学というものでは、もう次の世界では成り立たない、というところまで今きている。

それはどういうことかと言いますと、「デカルトがモノと心というのは二元的で両方独立するんだ」という表現をしている。これを話していたら1時間くらいかかるから、このぐらいにしておきますけど、モノと心と、あるいは人間と心というのは表裏一体である、というのが自然の姿だと思うんですよね。

それを考慮に入れることが、近代の科学のパラダイムを打ち破る、一番大きなキーだと思う。それが割に近いところで、我々がどういう商品を作ろうか、さっき話のあったカスタマーを満足させるためのモノをこしらえようか、というのは人間の心の問題だと思う。

「言語化できないけど心を動かすものが差異を生み出す」|猪子寿之さんと落合陽一さんの言葉よりでも書きましたが、言葉に出来ないけど、理論立てて言えないけど、何か心が動いてしまうものというのが大事なのだと思います。

仕組みはわからないけどすごいということはわかる。

感動するけど言葉では説明できない。

そんなことを追求していくことが、パラダイムを打ち破るキーとなるのだと思います。







【関連記事】

言語化できない何かに触れることが自分を最も刺激してくれるもの?

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参考画像:蛯名健一の魔法の体(TED)|スクリーンショット




蛯名健一の魔法の体(TED)を見て最初に思ったのは、「ヤバい!」の一言。

ダンスが上手いとかはわからなくても、この動きは「ヤバい」というのがわかる。

そして、この映像を見た後に思い出したのが、この記事。

「言語化できないけど心を動かすものが差異を生み出す」|猪子寿之さんと落合陽一さんの言葉より

「ヤバい」っていうのは言語化できないけど、その裏に心を動かす何かがあるっていうことなんですよ。

文脈は分からないけれど感動する。原理は分からないけどすごい。

ダンスのことはわからないけど、この動きを同じ人間がやっているということに驚きを感じてしまう。

「同じように骨や筋肉があるんだけど、どうやったらそんなふうに動けるんだろう。」

「もしかすると、自分の身体といっても、動かしたことのない筋肉や骨があったりするのかも。」

もしかすると、言語化できない何かに触れることが自分を最も刺激してくれるものなのかもしれない。