■「老い」|年齢との向き合い方を世阿弥の人生論から考える
年をとることはネガティブなイメージを持って語られることが多いですよね。
そして、それは単にネガティブなイメージを持つだけでなく、年をとったと思った瞬間から、それは行動に現れてしまいます。
人は「年をとった」と思った瞬間から老けこんでしまう!?
で紹介した英エクセター大学のKrystal Warmothさんによれば、人は「年をとった」と思った瞬間から、活動的でなくなり、若さを保つ気がなくなり、老けこんでしまうそうです。
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『「無意識」があなたの一生を決める 人生の科学』(著:デイヴィッド・ブルックス)によれば、被験者に高齢者に関わる単語を幾つか見せると、単語を見る以前よりも歩くのが遅くなるということが実験で確認されているそうです。
プライミング|高齢者に関わる単語を見せると単語を見る以前よりも歩くのが遅くなる!?によれば、こういう現象を「プライミング」というそうで、これは、先行する知覚が後の知覚、ひいては後の行動に影響を及ぼすという現象のことをいいます。
つまり、年をとることはネガティブなことだと多くの人がそう捉えているということです。
しかし、年を重ねること=Aging(エイジング)をポジティブにとらえることができるものをあなたもご存知ではないでしょうか?
それは「発酵食品」です。
「老い」は他者との再会を繰り返すこと──伊藤亜紗、ドミニク・チェン、橋田朋子による“aging”をめぐる対話(2019/1/15、unleash)で紹介されている発酵デザイナーの小倉ヒラクさんによれば、ぬか床にも守・破・離とでも呼べるような異なるフェーズの推移があり、良い菌が優勢になったり、悪い菌が増えたり、再び良い菌が集まることで、多様な菌が安定化することにより、よいぬか床になるそうです。
時間が蓄積されたからこそ生まれる価値があるということですね。
40代・50代向けの健康美容ブログを書いている立場からすれば、確かに、目が見えにくくなったり、疲れがとれにくくなったり、モノを忘れることが多くなったり、体力がなくなったり、肩が上がりにくいなど体が自由に動かなくなったり、年をとりたくないなーと思う瞬間はあるものです。
しかし、年を重ねたからこそ見えてくるもの、できることもあるはずです。
世阿弥の『花鏡』にはこのような言葉があります。
命には終わりあり、能には果てあるべからず。
言葉の通り、命には終わりはあるが、能には終わりはないという意味で、老いてこそ得られる芸があるということです。
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『NHK「100分DE名著」世阿弥 風姿花伝』の解説によれば、世阿弥の人生論は、若年の若さの力から、中年の意思によって選択する世界に入り、老年の自由の境地へと進みます。
若い時には「やってはいけない」と思っていたことがあっても、やっていいとされてきたことに少し混ぜることにより、観客にとっては珍しいもの、面白いものになるというのです。
人生100年時代を迎える私たちは世阿弥が考える「老いてのちの初心」という気持ちを持って、老いたからこそ咲かせる花もあるでしょうし、またすべてがなくなった後に残った一輪の花こそが今までの生きてきた証ともいえるのではないでしょうか?
亡父にて候ひし者は、五十二と申しし五月十九日に死去せしが、その月の四日の日、駿河の国浅間の御前にて法楽仕る。 その日の申楽ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。およそ、その頃、物数をば初心に譲りて、やすきところを少なすくなと、色へてせしかども、花はいや増しに見えしなり。これまことに得たりし花なるがゆゑに、能は、枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしなり。これ、眼のあたり、 老骨に残りし花の証拠なり。
老いることは自由になることという考え方になると人生100年時代もワクワクしてきませんか?