【ブラタモリ】なぜ「世界の有田焼」になった?|自然の奇跡・赤絵・ガイシ(碍子)|10月20日・27日


2018年10月20日・27日のNHK「ブラタモリ」は「有田焼、世界へ~なぜ“世界の有田焼”になった?~」がテーマでした。




【目次】

■なぜ“世界の有田焼”になったのか?

佐賀県の有田町といえば、4月29日から5月5日まで7日間行われ、全国から約100万人が訪れる「有田陶器市」!

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「有田」は日本の磁器発祥の地でもあり、”世界の有田焼”としても知られていますが、なぜ“世界の有田焼”になったのか?については知りませんでした。

今回のブラタモリでは、有田の歴史・地形・技術、そして有田焼を支えた陰の立役者について取り上げました。

1.3つの自然の奇跡

有田には3つの自然の奇跡がありました!

  1. 有田焼(磁器)の原料となる「陶石(とうせき)」という粘土が見つかったこと
    流紋岩が圧力釜のフタのようになって、熱水を閉じ込めて、250万年をかけて真っ白な「陶石」ができた
  2. 粘土づくりに欠かせない唐臼で陶石を砕く特別な装置(ししおどし式)が川の流れを利用して作られたこと
  3. 斜め15度の斜面を利用して大量に有田焼を作ることができる登り窯を作ったこと
    登り窯は傾斜が高すぎるとスーッと熱が抜けていくために焼けず、傾斜が低すぎると火が引いて登っていかない

有田という地の利・地形の奇跡があったからこそ「有田焼」が生まれたのです!

2.「柿右衛門窯」で生み出された「柿右衛門様式」に欠かせない「赤絵」!


国の重要無形文化財「柿右衛門窯」で生み出された「柿右衛門様式」は、余白を活かして磁器の白さを際立たせ、シンメトリーな図柄を持つ西洋の器と異なるアシンメトリーな図柄で、美しい赤と青の絵付けで彩色されています。

一口に柿右衛門様式といっても、模様も違えば形も違いますが、全体に共通しているのは「赤」!

初代柿右衛門が日本で最初に赤の色絵を始めたそうです。

有田焼は分業制で一つ一つの工程を職人さんが請け負っています。

簡単に言うと、次のような工程です。

  1. 成形(ろくろなどを使って陶土で形を作る工程)
  2. 素焼き
  3. 下絵付け(線書きとも呼ばれ、細い筆で線や輪郭を描く。「呉須」という焼くと藍色に発色する絵の具で絵付けをする)
  4. 濃み(だみ:太い筆で濃淡をつけ色を塗る)
  5. 施釉(釉薬(ゆうやく)をかける)
  6. 本焼成(釉薬をかけてから焼くと透明のガラス質になり、文様が浮かび上がる。水を通さなくなり、汚れにくくもなる。)
  7. 上絵付け(白磁に上絵付けしたものを「赤絵」と呼びます。)
  8. 上絵焼成

※15代酒井田柿右衛門さんが行うのは職人たちを取りまとめる総合プロデューサーであり、デザイナーの役割です。

【参考リンク】

美しい赤絵の鍵となる「赤」色の絵の具「花赤」の完成までには10年の歳月を要するそうで、水には酸素が含まれているため鉄を錆びさせる効果があり、1日1回水を替え新しい酸素を入れることにより錆を促進し細かい粒子になり、10年たつとナノレベル(1万分の1ミリの細かさ)までになるそうです。

※ちなみに、絵の具屋さんで販売されている「花赤」は100g2万3千円でした!

10年かけてできた赤の絵の具にガラス成分を混ぜて擦るのに機械では3ヶ月、人力だと半年~一年かかるそうで、こちらの作業も分業制であり、江戸時代には擦り専門の職人がいたそうです。

つまり、「赤絵」という日本的な美意識で有田焼は世界に誇る美術品になったというわけなのです。

3.ガイシ(碍子)

ガイシ(碍子)とは、電柱などに取り付けられる絶縁体で、電線との間に挟み漏電を防ぐもの。

これが有田焼とどんな関係があるのかといえば、有田焼は「磁器」で、磁器は電気を通す雨水が染み込まず絶縁体に適しています。

有田焼の窯元などが共同で設立し、美術工芸品とガイシを同時に作っていたそうで、電信が発達する中で「ガイシ(碍子)」は時代に不可欠な商品となり、順調に売り上げを伸ばしていきました。

つまり、美術品は景気の波に左右されてしまいますが、ガイシのおかげで有田焼の美術品としての価値を支えることができたのです。

■まとめ

「なぜ”世界の有田焼”となったのか?」

それは、有田には恵まれた自然の奇跡があり、工夫と努力で技術を生み出し、「ガイシ(碍子)」で美術品の価値を支えたからこそ、”世界の有田焼”となったのです。