「魔法の世紀」(#落合陽一)を読んで考えたこと|西洋と東洋の考え方の違い


「魔法の世紀」(著:落合陽一)を読んで感じたのは、西洋と東洋の考えの違いです。

西洋と東洋の考えの違いについて、「頭のでき」(著:リチャード・E・ニスベット)と「アースダイバー」(著:中沢新一)という2冊の本をもとに考えてみます。

【目次】




■「魔法の世紀」(落合陽一)を読んで考えたこと|西洋と東洋の考え方の違い

Just a little pixie dust

by Dustin Gaffke(画像:Creative Commons)

落合陽一さんの「魔法の世紀」を読んで、気になった部分を抜き出して書くということも考えたのだけれど、今回はそれをやらずに、自分のフィルターを通して浮かんできた、西洋と東洋の考えの違いについての2冊の本を紹介しようと思う。

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落合陽一さんはあとがきでデジタルネイチャー研究における目標として、世界から3つのものをなくすことを目標としていると語っている。

その3つとは、「重力」・「ゲート」・「繋ぎ目」。

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そこで考えたのが、世界が西洋的な分析する思考習慣から移行して、東洋的な包括する思考習慣になることが重要になるのではないかということ。

「頭のでき」(著:リチャード・E・ニスベット)を参考にそれぞれの考え方の違いをまとめる。

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■西洋人=分析的

西洋人の知覚や志向は分析的で、身の回りのうち比較的小さな部分、何らかの方法で影響を与えたいと思う物事や人に意識を集中させる。

そして、その小さな部分の属性に注意を向け、それを分類したりその振る舞いをモデル化しようとしたりする。

また、形式的な論理規則を使って推論することが多い。

【参考リンク】

「人工知能と黒魔術」(視点・論点)

(2017/6/16、NHK)

私たちが普段の教育で触れる科学は、基本的に還元主義という考え方でできています。還元主義は「物事を分解し、細部の構造を理解していけば、全体を理解できる」という考え方です。

■東洋人=包括的

東洋人は幅広い物事や出来事に注意を払い、物事や出来事同士の関係や類似性に関心を持つ。

また、対立する考え方の「中庸」を探すなど、弁証法的な考え方を使って思考する。

東洋人は他者に注意をはらう必要があるため、外部の幅広い社会環境に目を向け、その結果として物理的環境にも意識を注ぐ。

■日本人とアメリカ人に見せて何が見えたかを報告してもらった、カラーアニメーションの一場面

masuda&nisbett(2001)

masuda&nisbett(2001)

  • アメリカ人はおもに、最も目立つもの-例えば大きく機敏な魚-に注目した。
  • 日本人は、もっと周囲の状況-岩、海藻、貝のような動かない生き物-に目を向けた。
  • 日本人は、背景に注意を払うだけでなく、背景とその中にある特定のものとの関係にも気づいた。
  • 日本人は、背景の細部についてアメリカ人よりも60%多く語った。

東アジア人は背景により注意をはらうため、関係性や因果関係を正しく判断できると考えられる。

「アースダイバー」(著:中沢新一)では、このように書かれている。

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人間の心は、本質的に都市的な作られ方をしているのだけれど、そこには「無意識」という釣り堀があって、暗い生命の欲望がへら鮒のように見えない水中を泳ぎまわっている。この「無意識」とコミュニケーションを交わし合うことによって、人間の心は「自然」の豊かさを失わずにすんでいる。

夢を見たり、妄想を抱いたり、ときには今まで現実世界の中には出現していなかった新しいアイディアのイメージを思いついたりするのも僕達が知らず知らずのうちに行なっている「心のへらぶな釣り」のおかげなのである。

アジア人にとって世界はすべての要素が切れ目なく連なりあった複雑な場所である。それを理解するには部分を見るのではなく全体を見なければならない。

2冊の本を私なり解釈によれば、西洋人から見た世界はすべての要素が切れ間があり、隔たりがある世界であり、東洋人から見た世界はすべての要素が切れ間なく連なりあった世界である。

現代は西欧の生んだグローバリズムによって、世界は大きな影響を受けているけど、東洋的な考えが浸透すれば、もっと違う世界が見られるんじゃないだろうか。

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■「アースダイバー」には「言語化できないけど心を動かすもの」に関するヒントがある!

「アースダイバー」(著:中沢新一)には、「言語化できないけど心を動かすもの」に関するヒントがある。

  • 商品には単なる実用の世界の価値を離れたところがなければならない。ちょっと現実と離れた部分があって初めて、人々の無意識の欲望に触れる、魅力的な商品が生まれるのである。

  • 商品というものは、そもそもの成り立ちからして現実から少しだけ遊離したところがなくてはならず、現実を離れた分、神仏の世界のものである人の無意識に触れている部分で持っていなければ商品としては成功しない。広告は文章と絵の力によってそこに触れる。そうやって無意識と商品とを結びつけるのである。

  • 広告・宣伝は実用品としての商品を人間の深い無意識に結びつけていく技である。そしてそのとき上出来の広告と一体となって、浮かび上がっている無意識が人の心の深いレベルに触れていればいるほどその広告は力を持つ。