世界で最も非言語で生活できる、居心地の良い都市になれば、ロマンチックだ!

Paris - le 29 decembre 2011

by Patrick Nouhailler(画像:Creative Commons)




■世界で最も非言語で生活できる、居心地の良い都市になれば、ロマンチックだ!

グローバル化は、英語化じゃなくて、非言語化!──日本、アジア、そして21世紀

(2013/10/7、GQ)

この間、とあるアジアの国に行った時に、あるアメリカ人が面白いことを言っていた。日本で半年間生活していたのだけど、いっさい日本語がわからなくても、全く生活に困らなかった。今住んでいるこの国だと、この国の言葉がわからないと生活に非常に困るというのだ。

日本の街は、海外の人が日本語をしゃべれなくても生活できるのだそうだ。

その理由は、日本の街は非言語な表現であふれていることが理由に挙げられる。

もしかしたら、日本は、非言語文化が発達していて、それは、世界の中で、非常に、競争力があるかもしれないのだ。歴史を紐解けば、能や、絵巻物語があったし、そして、マンガがある。非常に非言語な文化である。そして、非言語的な文化が世界ではうけている。そう、非言語な表現は、実は日本の強みなのだ。そして、気付いていなかったけれど、非言語な文化が強くあったため、気がついたら、街が、言葉がわからなくても、生活しやすいという非言語な街に発達したのではないかと思う。

現代の流れは、英語公用語化に進んでいたり、外国語を学ぼうという流れになっているが、もしかすると、非言語な表現を特化させた方が街としては住みやすい街になるのかもしれない。

文字をなくすといえば、知的能力が低下するという意見もあるかもしれない。

「アースダイバー」(著:中沢新一)にはこう書かれている。

アースダイバー

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今日わたしたちの用いる知的能力の量は過去よりも少ないとも多いとも言えます。それに、昔と全く同種の能力を用いているわけでもありません。たとえば、感覚的知覚の利用は明らかに少なくなっています。

無文字民族は、自分たちの環境と資源の全てについて、途方もなく正確な知識を持っています。

文字を持たない民族が文字を持つ民族よりも知的能力の量が少ないわけではなく、持っている知識の種類が違うのだ。

無文字民族は、自らの周りにある自然に関する知識や感覚的知覚が豊富なのである。

第16回 なんで、誤解していたんだろう?

(2006/1/4、ほぼ日刊イトイ新聞)

あーとかうーとかじゃなくて、
言語も、深いところでは
今と同じ構造を持っているんです。
ボキャブラリーもかなり豊富だったし、
ことに自然界のものや、
動物に関するボキャブラリーは、
ぼくらよりもっと豊かだったと思います。

役に立つ動物や植物についての知識も豊富だし、
社会構造だってかなり発達していました。

縄文時代の人より近代の人のほうが優れているというのは誤解なのだ。

進化論によって、今が一番いいと思いこまされているのかもしれない。

だからこそ、文字にあふれる街を目指すよりも、無文字民族のような言葉を使わないコミュニケーションを中心とした街を目指すというアプローチも面白い。

世界でもっとも非言語で生活できる都市こそが、世界中の人々にとって、とても居心地の良い都市になるならば、猪子寿之さんの言葉を借りれば、

圧倒的にずっと、ずっと、ずっと、ロマンチックだ!!

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P.S.

タモリにとって「言葉」とは何か

(2013/5/7、ガジェット通信)

「どうしても知りたいのは、なぜ、コトバに挑戦したかという一点に尽きる」と迫る松岡に、タモリはこう語った。

「かんたんに言えば、理由はコトバに苦しめられたということでしょう」「何かものを見て、コトバにしたときは、もう知りたいものから離れている」「コトバがあるから、よくものが見えないということがある。文化というのはコトバでしょ。文字というよりコトバです。ものを知るには、コトバでしかないということを何とか打破せんといかんと使命に燃えましてね」(同)

言葉があるからこそ、よく見えないことがある。

言葉をなくすことで、本当のことが見えてくるのかもしれない。