人間は「栄養」を食べているわけではない?完全栄養食とNASA宇宙食から考える「食べる」ということ

ハクライドウではこれまで「完全栄養食」について何度も取り上げてきました。

忙しくて食生活が乱れやすい人の栄養補給、高齢者の低栄養、将来の食糧問題などを考えると、必要な栄養素を効率よく摂取できる完全栄養食には大きな可能性があります。

日清食品の完全栄養食について調べた際には、単なる一つの商品ではなく、社員食堂やレストラン、シニアの健康寿命支援、さらには個人に合わせた栄養のパーソナライズへ発展していくロードマップも紹介しました。

ですから、この記事は「完全栄養食はよくない」という話ではありません。

むしろ今回考えてみたいのは、以前から完全栄養食を調べる中で何度も浮かんできた一つの疑問です。

そもそも、人間にとって「食べる」とは何なのでしょうか?

■「栄養さえ摂れれば食事はいらない?」という疑問

2014年から紹介してきた完全栄養食「Soylent(ソイレント)」は、この問題を考えるうえで象徴的な存在でした。

ハクライドウでは、ソイレントだけで30日間生活するという実験を紹介しながら、

「本当に栄養だけがとれればいいのでしょうか?」

と問いかけています。

そこで注目したのは、食事には栄養補給だけではなく、人に喜びを与えたり、人とのコミュニケーションにつながったりする側面もあるということでした。

その後、日清食品のAll-in PASTAを取り上げた記事でも同じ問題について考えています。

必要な栄養を摂るだけなら非常に合理的です。

しかし、人間は食事を香りで楽しみ、見て楽しみ、食べて楽しんでいます。

そこでハクライドウでは、アレンジによって食に変化を持たせられる完全栄養食には、「食の楽しみ」まで考えた可能性があるのではないかと考えていました。

さらに、完全栄養食だけの生活を6年間続けている男性について取り上げた際には、今度は「咀嚼」に注目しました。

液体や粉末から栄養を摂取できたとしても、「噛む」という行為までなくしてしまってよいのだろうか、という問題です。

こうして振り返ってみると、ハクライドウでは完全栄養食を追いかけながら、ずっと同じ問いを別の角度から考えてきたように思います。

■「栄養的に完全であること」と「食事として完全であること」は同じなのだろうか?

きっかけはSNSで見かけた「食事の自動化」

今回この問題を改めて考えるきっかけになったのが、SNSの投稿で話題になった食生活のアイデアでした。

冷凍庫に平日数週間分の食事をストックして、夕食をある程度固定してしまう。

毎日、

「今日の夕飯、何を食べよう?」

と考える必要がありません。

買い物、献立、調理などの負担も小さくできます。

これは非常に合理的です。

特に、健康的な食生活をしたいと思っていても、毎日の忙しさの中でそれを実践することが難しい人にとって、食事をある程度「仕組み化」することには大きなメリットがあります。

ところが、その投稿への反応の中には、

「同じような食事を続けているうちに食べたくなくなった」

「パッケージを見るのも嫌になった」

「同じような柔らかな食感が苦手になった」

といった体験談もありました。

【参考リンク】
Xの投稿1
Xの投稿2

もちろん、SNS上の個人的な体験談から一般化することはできません。

しかし、

なぜメニューが違っていても「同じものを食べ続けている」という感覚になることがあるのだろう?

と考えてみると、とても面白い研究分野につながっていきます。

■同じものを食べていると魅力が下がる「感覚特異的満腹」

食行動研究には「感覚特異的満腹(sensory-specific satiety)」と呼ばれる現象があります。

簡単にいえば、ある食品を食べていくうちに、食べていた食品に対する快さが選択的に低下していく現象です。

重要なのは、

単純に「お腹いっぱいだから何も食べたくない」という現象とは少し違う

ということです。

食べていたものへの魅力は低下していても、違った特徴を持つ食品なら食べたいと感じることがあります。

つまり私たちが食べているのは、単に、

「タンパク質何g」

「炭水化物何g」

「ビタミン何mg」

という栄養素ではありません。

食品から入ってくるさまざまな感覚情報を受け取りながら食事をしています。

■「メニューが違う」だけでは十分ではないのかもしれない

ここで最初のSNSの話が面白くなります。

仮に毎日料理の名前が違っていたとしても、

容器が似ている。

見た目が似ている。

香りが似ている。

温度が似ている。

そして、

食感が似ている。

そうすると、料理の名前としては20種類あったとしても、私たちの感覚にとって本当に20種類の異なる食体験になっているのかは別の問題です。

ここはまだ仮説ですが、「食事の多様性」を考えるときには、メニューの数だけではなく、

味 × 香り × 見た目 × 温度 × 食感

といった「感覚の多様性」を考える必要があるのかもしれません。

サクサク。

パリパリ。

シャキシャキ。

もちもち。

トロトロ。

温かいもの。

冷たいもの。

香ばしいもの。

料理として考えれば当たり前の違いですが、栄養素だけを基準に食事を見ると、こうした違いはほとんど見えなくなってしまいます。

■実はNASAも「食べ続けられる食事」を研究している

この問題をもっと極端な環境で考えると、「宇宙食」に行き着きます。

宇宙では食品の保存性や重量、スペースなど地上とは異なる制約があります。

NASAでは、長期宇宙飛行において限られた食事を繰り返すことが食品の受容性にどのような影響を与えるのか、「menu fatigue(メニュー疲労)」という観点から研究されています。

つまり、

栄養学的に必要なものを用意するだけではなく、人間がそれを食べ続けられるのか

という問題です。

ここが完全栄養食を考えてきたハクライドウにとって非常に興味深いところです。

宇宙食という究極に合理性が求められる食事であっても、結局は「人間が食べる」という問題から逃れられないのです。

■なぜ人間は「いろんなもの」を食べたくなるのだろう?

こう考えてみると、普段は当たり前だと思っている食生活が少し違って見えてきます。

例えば朝食に、

味噌汁。

ご飯。

焼き魚。

漬物。

卵焼き。

が並んでいるとします。

栄養素だけで見れば、それぞれを分解して、

タンパク質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラル……

と表現できます。

しかし人間が実際に経験している食事は、それだけではありません。

味噌汁を飲む。

魚を噛む。

漬物をポリポリ食べる。

温かいご飯と一緒に味わう。

そこには味も、香りも、温度も、硬さも、音もあります。

そして昨日魚を食べたなら、

「今日は肉にしようかな」

と思う。

単なる「気まぐれ」のように見えます。

でも今回考えてきた感覚特異的満腹や食事の単調性という視点から見ると、

こうした変化を求めること自体が、人間の食行動の興味深い特徴なのではないか

と思えてきます。

■完全栄養食の考え方に問題があるわけではない

ここは強調しておきたいところです。

完全栄養食という考え方そのものが間違っているわけではありません。

ハクライドウでは以前から、完全栄養食には、忙しい人の栄養補給、高齢者の低栄養対策、食糧問題などに活用できる可能性があると考えてきました。

また日清食品のロードマップを見ると、完全栄養食を一種類だけ食べ続けるという発想ではなく、社員食堂、レストラン、小売、シニア支援、個人に合わせた食の提案などへ広げようとしていることがわかります。

むしろ面白いのはその先です。

完全栄養食が発達すればするほど、

「では人間にとって本当に完全な食事とは何だろう?」

という問いが生まれてきます。

■完全なのは「栄養」なのか、それとも「食事」なのか

必要な栄養素をすべて含んでいる。

カロリーもちょうどいい。

タンパク質も十分。

ビタミンやミネラルも計算されている。

これは「栄養」という面では、とても合理的な食事です。

でも人間は、

見る。

嗅ぐ。

味わう。

噛む。

食感を感じる。

温度を感じる。

選ぶ。

誰かと食べる。

そして「おいしい」と感じる。

過去の記事では、これを「食べる楽しみ」「コミュニケーション」「咀嚼」という方向から考えてきました。

今回そこに、

「感覚の多様性」

という視点が加わったのではないでしょうか。

■食生活で本当に大切なのは「続けられること」なのかもしれない

健康情報では、

「○○を食べましょう」

「○○を減らしましょう」

「栄養バランスを整えましょう」

といった話になりがちです。

しかし健康は一回の食事だけで決まるわけではありません。

大切なのは食習慣です。

そう考えると、

栄養的に優れていることと、その食生活を人間が無理なく続けられることの両方

を考える必要があります。

毎日食事について考えなくてよい仕組みは、ある人にとって食生活を続ける助けになります。

一方で、別の人にとっては、

「今日は何を食べよう?」

と選ぶこと自体が食生活を続けるために必要なのかもしれません。

つまり重要なのは、

「食事を効率化すること」が良いか悪いかではなく、どこを効率化し、どこに人間らしい変化を残すのか

なのではないでしょうか。

■まとめ 人間は「栄養」を食べているわけではない

完全栄養食について長く調べてきましたが、今回改めて感じたのは、

人間は「栄養」を食べているのではなく、「食事」を食べている

ということです。

必要な栄養素を摂ることはもちろん大切です。

しかし人間にとっての食事は、

栄養 + 味 + 香り + 見た目 + 食感 + 温度 + 咀嚼 + 選択 + 人とのつながり

のような、非常に複雑な体験なのかもしれません。

完全栄養食は、その中の「栄養」という非常に重要な問題を解決しようとするものです。

だからこそ、その考え方をさらに先へ進めるなら、

どうすれば必要な栄養を摂ることができ、なおかつ人間が「食べたい」と思い続けられるのか?

まで考える必要があるのではないでしょうか。

宇宙食という極端な環境について考えても、完全栄養食について考えても、最後には同じところに戻ってくるように思います。

「人間が食べる」とは、一体どういうことなのか。

もしかすると、本当の意味での「完全な食事」を考えるためには、栄養成分表だけではなく、私たちが食事をどこで、どのように感じているのかまで考える必要があるのかもしれません。

【関連記事】

「完全栄養食(パーフェクトフード・完全食)」に成長性はある?ない?キーワードは高齢者の低栄養・健康寿命・食糧問題!
完全栄養食だけ生活を6年続けた男性の健康状態とは?
食事が不要になる完全栄養食「ソイレント」とは?
日清の完全栄養食のロードマップとは?
日清のAll-in PASTAは完全栄養食のパスタ!

【参考文献】

Rolls BJ, Rolls ET, Rowe EA, Sweeney K. Sensory specific satiety in man. Physiology & Behavior. 1981;27(1):137-142.
DOI: 10.1016/0031-9384(81)90310-3
→ ある食品を食べた後、その食品の「おいしさ」の評価が、食べていない食品より大きく低下することなどを示した、感覚特異的満腹(sensory-specific satiety)の代表的研究です。
Penn Stateの論文情報

Stribiţcaia E, Evans CEL, Gibbons C, Blundell J, Sarkar A. Food texture influences on satiety: systematic review and meta-analysis. Scientific Reports. 2020;10:12929.
DOI: 10.1038/s41598-020-69504-y
→ 食品の形態・粘度・構造などの「食感」と、空腹感・満腹感・摂食量との関係を検討したシステマティックレビュー/メタ解析です。ただし研究間のばらつきが大きく、著者らも慎重な解釈が必要としています。
PubMed

NASA. How Does Spaceflight Change Food Appeal? 2021.
→ NASAが長期宇宙飛行における「menu fatigue」を研究していることを紹介しています。食べ物の受容性には、見た目、風味、食感、香りなど複数の要素が関係し、NASAは長期ミッション中の食事の受容性を調査しています。
NASAの記事

Douglas GL, Oswald T, Bell ST, Young M. Food Acceptability, Menu Fatigue, and Aversion During the SIRIUS-21 Analog Mission. NASA Technical Reports Server.
→ SIRIUS-21という8か月間のアナログミッションで、繰り返し食品を食べることによる受容性やmenu fatigueなどを調べた研究です。
NASA Technical Reports Server

Douglas GL, Bell ST, Roma PG, Oswald T, Young M. Food acceptability and selection by astronauts on International Space Station missions informs strategies and risks for deep space exploration. Frontiers in Psychology. 2025;16.
DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1562044
→ ISSの宇宙飛行士15人を対象に、約6か月および1年間のミッションで食品の受容性を調査した研究です。興味深いことに、食品の受容性スコア自体はミッション中に低下せず、宇宙飛行士は早い段階から自分の好みの食品を選んでいました。個人の好みや食事の多様性を考えるうえで重要な研究です。
Frontiers掲載論文







「本記事は医療行為の代替ではなく、テレビ・論文・公的資料を一般の生活者向けに噛み砕いたものです」

この街を初めて訪れた方へ

この記事は、例えるなら「ばあちゃんの料理教室(ハクライドウ)」という街の中の「ひとつの家」です。

この街には、生活・料理・健康についての記事が、
同じ考え方のもとで並んでいます。

ここまで書いてきた内容は、
単発の健康情報やレシピの話ではありません。

この街では、
「何を食べるか」よりも
「どうやって暮らしの中で調整してきたか」を大切にしています。

もし、

なぜこういう考え方になるのか

他の記事はどんな視点で書かれているのか

この話が、全体の中でどこに位置づくのか

が少しでも気になったら、
この街の歩き方をまとめたページがあります。

▶ はじめての方は
👉 この街の歩き方ガイドから全体を見渡すのがおすすめです。

▶ この街の地図を見る(全体像を把握したい方へ)

※ 無理に読まなくて大丈夫です。
 気になったときに、いつでも戻ってきてください。

この考え方の全体像(意味のハブ)

この記事で触れた内容は、以下の概念記事の一部として位置づけられています。

▶ 料理から見る健康

この街の考え方について

この記事は、
「人の生活を、断定せず、文脈ごと残す」
という この街の憲法 に基づいて書かれています。

▶ この街の中心に置いている憲法を読む