参考画像:Flower and Corpse City and Noble|YouTubeスクリーンショット
ZOZOTOWN(ゾゾタウン)を運営するスタートトゥデイ代表前澤友作さんがジャン・ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の作品を約62億と約123億で落札したというニュースを聞いたことがある人も多いと思います。
【参考リンク】
ただ、ふと疑問に思った人もいるのではないでしょうか、なぜバスキアの作品はこんなに高額なのだろうか?、と。
堀江貴文さんがこの疑問をチームラボ代表の猪子さんがぶつけて解説をしてくれています。
【対談】堀江貴文×チームラボ代表・猪子寿之が語る「アートが変える未来」
(2017/8/29、スタディサプリ進路)
猪子:結局世紀を語る時に、大量消費社会がきて、マスメディアが出てきて、人類の価値観がどう変わっていったかをちゃんと説明しようと思ったら、ウォーホル抜きには説明できないんですよ。現代の工業製品をニュートン抜きには語れないのと同じように。
<中略>
猪子:ウォーホルにとって、バスキアは影響の大きな人物だったんです。共同制作もしていました。ウォーホルのある時代を説明するには、バスキアも外せないわけです。
産業革命が起き、物を大量生産できるようになり、いいものを安く手に入れられるようになりました。
アンディ・ウォーホルが出てきたことによって、「みんなが知っているものがかっこいい」という概念が生まれ、それ以降ラグジュアリーブランドが生まれ、巨大な産業が生まれていきました。
歴史において、ウォーホル抜きでは美の価値観が変わったことを説明することができず、また、すでに亡くなっているため作品が増えることがないので、価値が下がることはないそうです。
バスキアはそのウォーホルにとって影響力のある人物であり、ウォーホルを語るうえで欠かせない人物でもあるため、バスキアの作品は高額で取引されているのだそうです。
■「Society5.0」というコンセプトをアップデートしよう!|キーワードは「超主観空間」「計算機自然(デジタルネイチャー)」「無限概念」「東洋的」「融け合う」
ところで、Society5.0という考え方をご存知ですか?
Society5.0とは、「狩猟社会(Society1.0)」「農耕社会(Society2.0)」「工業社会(Society3.0)」「情報社会(Society4.0)」に続く、AI(人工知能)や IoT といったテクノロジーによる未来社会として掲げられた「超スマート社会」というコンセプトです。
参考画像:Society5.0・Connected Industriesを実現する「新産業構造ビジョン」(2017/5/30、経済産業省)|スクリーンショット
参考画像:Society5.0・Connected Industriesを実現する「新産業構造ビジョン」(2017/5/30、経済産業省)|スクリーンショット
Society5.0・Connected Industriesを実現する「新産業構造ビジョン」(2017/5/30、経済産業省)
「必要なもの・サービスを、必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供し、社会の様々なニーズにきめ細かに対応でき、あらゆる人が質の⾼いサービスを受けられ、年齢、性別、地域、⾔語といった様々な違いを乗り越え、活き活きと快適に暮らすことのできる社会。」(第5期科学技術基本計画)
これまでの社会は、あらゆるものを標準化することによって、人間がその標準化された社会に合わせて生活をすることで問題を解決してきましたが、Society5.0では、多様な違いを持ったままで、必要なサービスを、必要な時に、必要な分だけ提供される社会になっていくことを目指しています。
今後もし「Society5.0」というコンセプトをもとにした社会が出てくるとすれば、先ほどの産業革命後に現れたアンディ・ウォーホルによって美の価値観が変わったように、人々の価値観を変えたアート作品にも注目が集まると考えられないでしょうか?
アート作品について知らないことが多いので、現時点で知っている作品から考えると、「Society5.0」の考え方はチームラボの超主観空間という考え方が最も近いように感じます。
Flower and Corpse City and Noble
ただ、気になる点が一つあるとすれば、Society 5.0|内閣府によれば、Society5.0とは、
サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)
とあり、「人間中心の社会」を目指しているのですが、超主観空間の考え方は「我々自身も、自然の一部である」というものであり、世界は観察する対象ではなく、自分と世界との境界はないと考えている点です。
むかしの日本の人々にとって、自然とは観察の対象ではなく「我々自身も、自然の一部である」と考えているようなふるまいをしていた。
それは、何かの考えや思想によって、自然の一部であるようなふるまいをしたのではなく、単に、むかしの日本の人々は、自分が見えている世界の中にいるモノたちになりきったり、自分が見えている世界の中に自分がいるような感覚を感じやすかったから、そうしたのではないかと思うのだ。つまり「超主観空間」で世界を見ていたから、自分と世界との境界がないような感覚になりやすく、そのようなふるまいになったのではないだろうかと考えている。
西洋の遠近法や写真のように世界を見ているならば、自分と、自分が見えている世界が完全に切り分かれ、はっきりとした境界ができ、自分が見えている世界に自分は存在できません。つまり、世界は、観察の対象となる。だからこそ西洋では、サイエンスが発展したのかもしれない。
この考え方に近いと思ったのが、落合陽一さんのラボが考えている「計算機自然(デジタルネイチャー)」というものです。
「人間社会から計算機自然へ」MOA大学特別講義Vol.2落合陽一先生
(2017/8/27、MOA大学メディア)
つまり、16世紀以前に我々は人間と自然というものを対比して、人間は人間社会を作って自然を克服するというのをテーマにしたんだけど、そうじゃなくてもう1回自然になっていくんじゃないかなと僕は思います。
つまり、あれだけ多様性があっても、どうやったらコンピューターで、多様性のある人間のままいけるかっていうのが次の時代の勝負なんじゃないかなと僕は思ってます。
それってつまり、一人一人がわりと好きな方向に向いててもまあ社会が成立するようになってきたのかなと。
自然と人間とを対比した関係に置くのではなく、世界と自分が溶けあっていくような考え方だと思います。
Flutter of Butterflies Beyond Borders / 境界のない群蝶 beta ver.
Flutter of Butterflies Beyond Borders / 境界のない群蝶
『群蝶図』。この群蝶は、羽の模様を変容させながら空間の中を舞う。また、同じ空間に展示された他の作品の中も舞う。他のインスタレーション作品の空間の中も、他のディスプレイの作品の中もシームレスに飛ぶことによって、作品のフレームという概念を解き放ち、作品間の境界をなくし、あいまいにしていく。
チームラボの作品に「Flutter of Butterflies Beyond Borders / 境界のない群蝶」という作品があり、これを見ると、人と人、人と世界の間にある境界をなくし、自分と世界が溶けあっていくことで新しいものが生まれてくるのではないかと考えさせてくれる作品です。
もう一つ付け加えるとすれば、「Society5.0」に東洋的な考え方を加えていくことです。
西洋と東洋は何が違うんですか?|坂部三樹郎×猪子寿之|Qonversations
例えば、昔は木材が最大の資源でしたよね。西洋の場合は、木は有限だと考えるから奪い合いになるんだけど、日本は切ったら植えればいいじゃんという考え方だった。つまり無限ですよね。
なぜ社員が300人もいるんですか?|坂部三樹郎×猪子寿之|Qonversations
戦争のインセンティブになるのは、客観思想と有限概念だけなんですよ。資源や土地の奪い合い、もしくは客観的な神についての諍いが戦争になる。
チームラボの猪子さんの話を自分なりに解釈すれば、西洋の考え方には「客観思想」と「有限概念」がベースとなっていて、東洋(今回でいえば日本)の考え方は「主観的な思想」と「無限概念」がベースとなっていたと考えられます。
西洋の考え方から脱却して、東洋的な考え方を取り入れていくことにより、また違った新しい社会になっていくのではないでしょうか?
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だからこそ、「Society5.0」という考え方をさらにアップデートして、人間中心の社会を目指すのではなく、人間も自然の一部であるという視点から世界を見ることで、人間と世界の境界線があいまいな、ある種東洋的な発想を持った社会を目指すことが大事になってくるのではないかと思うのです。
■まとめ
歴史が変わるときに、人類の価値観をアップデートしたモノ(アートや人など)は重要な価値を持つでしょう。
今回挙げたものは私が例として挙げたものであり、全く別のものが人々の価値観を変えるようなモノ(アートやヒト、物、サービス)として表れているかもしれません。
あなたにとって価値観を変えた作品を覚えておいてくださいね。
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