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「子供がいる人生、いない人生、どちらが幸せ?」|子どもがいるいないは人生の満足度に差をもたらさない!?|米プリンストン大学・ストーニーブルック大学




【目次】

■子どもがいるいないは人生の満足度に差をもたらさない!?

Smile

by Nikos Koutoulas(画像:Creative Commons)

子どものいない方が夫婦は幸せ? 米英で調査

(2014/1/15、CNN)

子供がいる夫婦といない夫婦とでは、子供がいる夫婦の方が幸福度が高いと予想していましたが、米プリンストン大学とストーニーブルック大学の研究チームによる調査によれば、収入や教育、健康状態といった要因を除くと、子供がいるかいないかは人生の満足度に差をもたらさないことがわかったそうです。

子どもがいる、子どもがいないという要素は人生にどのような影響をもたらすのでしょうか?

■子供がいる夫婦の方が感情の浮き沈みが大きい

ストーニーブルック大学のアーサー・ストーン教授は「(子どものいる夫婦は)人生の喜びが多い一方で、ストレスや負の感情も多い」と解説する。

唯一の違いは、子供がいる夫婦の方が感情の浮き沈みが大きいのだそうです。




■子どものいない夫婦は夫婦関係に対する満足度が高い

これに対して、英オープン大学が英米で5000人を対象に実施した調査では、子どものいない夫婦の方が、子どものいる夫婦に比べて、夫婦関係に対する満足度が高く、関係を保つことに努めていることが分かったとしている。

子供がいない夫婦は、子供がいない分、お互いの関係を保つことに努めているということなのでしょうか。

■人生で最も大切なのは誰か?

人生で最も大切なのは誰かという問いでは、子どものいる女性は自分の子どもを、子どものいる男性は自分のパートナーを挙げる傾向があった。

こちらの調査では、子どものいる女性は、子どものいない女性を含めたどのグループよりも、はるかに幸福度が高いという結果が出ている。これは母親が子どもを一番大切にしていることと関係があるという。

子供のいる女性は子供を挙げ、子供のいる男性はパートナーを挙げており、女性は母になることで優先順位が自分のパートナーから子供へと移っていくということみたいです。

■まとめ

子どものいるいないが人生の満足度にほぼ差をもたらさないという結果は意外なものでした。

子どもがいるからといって幸せになるわけではなく、また、子どもがいないからといって幸せではないというのは、子孫繁栄の観点からいえば問題がありますが、個人個人の幸せという観点からいえばほっとできるのではないでしょうか。

今の自分が幸せであればいいわけですし、周りと比較する必要がないということがわかるからです。

他人の人生と比べることなく、今の自分の人生をいかに楽しむかに集中していきましょう!







【参考リンク】
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私たちは心の中にとっておくべき瞬間が分かっていない?!|人は普通の日常を思い出すことで幸せを感じる

Tenryū-ji Temple, Kyoto

by John Gillespie(画像:Creative Commons)




幸せを記録するなら、何気ない日常こそが大切:研究結果

(2014/9/15、ライフハッカー)

専門誌『Psychological Science』に発表された最近の研究によれば、人は平凡な瞬間を思い出すことで幸せを感じるそうです。

<中略>

カプセルを開けて実際に記憶の小道をたどる時が来ると、数か月前の自分の生活を垣間見ることこそが、心打たれる要因だとわかったのです。つまり、ごく普通の日常にこそ、喜びを感じる要素があるということです。

人が思い出を残そうと思うときは日常の風景ではなく、非日常に起きた時が多いのではないでしょうか。

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しかし、今回の記事によれば、ごくふつうの何気ない日常にこそ喜びを感じられるということがわかったそうです。

そして、今回の記事では、胸に刺さる言葉が書かれていました。

それは私たちは心の中にとっておくべき瞬間が分かっていないということです。

今この瞬間とは何気ない日常で、まるで当然のものと思ってしまいがちです。

しかし、日常生活の平凡な瞬間にこそもっと光を当てる必要があるのではないかということですね。

別の研究で、日々の退屈な部分を思い出したり、味わったりしないことが原因で、私たちはどれだけ幸福感を失っているかを調べた研究もあります。この研究の参加者たちはパートナーとの平均的な日々を回想することで感じられる喜びの大きさを著しく低く見積もっていました。特別なバレンタインデーの思い出の方がずっと幸せを感じられると誤解していたのです。

どちらかといえば非日常のイベントのほうが幸せを感じられると思いがちですが、実際は、日常の何気ない一瞬を記録していくほうが幸せを感じられるというのはすごく大事なことですよね。







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P.S.

最後に、自分撮りとSNS中毒者への警告を一言:「スマホでとにかく写真を撮ればいい」と考えるのはやめたほうがいいです。過剰な自撮りも良くないのです。瞬間をとらえようとすると、その瞬間が楽しめなくなりがちです、とZhang准教授は指摘しています。大切な瞬間は注意深く選択して味わいましょう。

写真の撮り過ぎで記憶が薄れる?で紹介しましたが、米フェアフィールド大学の心理学者、リンダ・ヘンケル氏の研究によれば、写真を撮ることによって、記憶することを写真に頼ってしまい、忘れっぽくなってしまうということでしたが、もしかすると写真を撮るという作業によって、記憶することに集中ができなくなるとは考えられないでしょうか。

大事な一瞬を写真や映像に残したいという気持ちはわかりますが、過剰に撮るのは大切な瞬間を味わえていないのかもしれません。

人間の眼はもっと広く見ることができるにも関わらず、カメラのレンズ越しに覗くということは、カメラの四角に切り取られてしまうということです。

「俺たちのフィールド」というマンガで日本が初めてワールドカップに出場が決まる瞬間があり、そこで日本代表を追いかけていたカメラマンの女性が言ったセリフが印象的です。

「ファインダー越しなんか・・・もったいなくって」

「私はこの瞬間が観たかったんだ」

本当に見たいものはカメラのファインダー越しで見るよりも、自分の目に焼き付けたいと思うものではないでしょうか。

先ほどの記事で紹介した米フェアフィールド大学の心理学者リンダ・ヘンケルさんが語っていることも印象的です。

「人々は何かというとすぐにカメラを取り出しては、ほとんど何も考えずにシャッターを切っている。目の前で起きていることを捉え損ねるほどだ」

最近は、何でも写真に撮ろうとしますよね。

ただ、カメラで撮ることに夢中で、目の前で起きていることを本当に捉えてはいないのかもしれません。

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「ロマンチックなものの総量」を多くする生き方について考えてみませんか?

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by Chris R.(画像:Creative Commons)




■「ロマンチックなものの総量」を多くする生き方

「なぜデザインなのか」(著:原研哉 阿部雅世 対談)にこのような文章がある。

なぜデザインなのか。

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もしも産業革命のようなものがなく、自分の行動範囲がすごく限定されていたとしても、自分が一生の中で生み出すロマンチックなものの総量は変わらないかもしれないと考えてみる。

この文章の中で、最も気になったのはこの部分。

自分が一生の中で生み出すロマンチックなものの総量は変わらないかもしれない

現代は、携帯電話があり、インターネットがあって、LINEのようなコミュニケーションアプリがあって、一昔前とは違い、いつでもつながることができるようになった。

ただ、よく考えてみると、こうしてテクノロジーの恩恵を受けているかのようで、実際のロマンチックなものの総量は今と昔では変わらない、むしろ少なくなっているのではないか。

これは決してノスタルジック(郷愁)に浸っているわけではない。

昔は、簡単に会ったり、つながることができなかったからこそ、相手のことを思い考える時間があったのではないか。

一つは、電話。

【今】

  • 電話やメールをする時代から、TwitterやLINEのようなアプリでコミュニケーションをとる時代
  • 待ち合わせで遅れてもすぐに連絡が取れる。

【昔(携帯電話のない時代)】

  • 家に電話をして、親と話すというある種の通過儀礼のようなものがあったそうだ。※ちなみに、これがあることで、親は子供がどんな人と付き合いがあるのかを把握できていたそうなのだ。
  • 待ち合わせの時間に来ないと連絡する方法がないので、待つしか方法がない。

便利がよくなればなるほど、相手のことを考える時間が少なくなり、自分の都合だけしか考えていないようになっているのではないだろうか。

もう一つは、SNS。

このショートムービーはスマートフォンを持っていない女性とその周りにいる人の生活を映し出している。

大事なのは今目の前にいる人のはずなのに、周りの人はムービーをとったり、写真を撮ったり、SNSをしたりして、目の前にいる人をないがしろにしているのだ。

目の前にいる人を楽しませることをしないでおいて、「現代は孤独だ」と嘆くのはなんだか矛盾している。

「錯覚の科学」(著:クリストファー・チャブリス ダニエル・シモンズ)にはこう書かれている。

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テクノロジーのおかげで、人は能力の限界を超えることができる。だが、どんな機械にも限界がある。それを私たちが認識して、はじめて機械は役に立つ。テクノロジーの限界を誤解すると、機械のせいで私たちは周りのものに気づきにくくなってしまう。

LINE、Facebook、Twitterといったコミュニケーションツールというテクノロジーの進歩によって、人間は遠くにいる人といつでもどこでもつながることができ、いわば能力の限界を超えることができた。

しかし、そのことによって、私たちは、旧来のコミュニケーションの周りにある、微細だけど大事なことを見逃してしまっているのかもしれない。

便利や効率を追い求める生き方よりも、もっと別の観点、今回の記事でいえば、「ロマンティックなもの」の総量を多くする生き方を考えてみるというのはどうだろうか?







【追記(2016/6/27)】

「胸がドキドキ」(THE HIGH-LOWS)

えらくもないし
りっぱでもない
わかってるのは胸のドキドキ
答えでもない本当でもない
信じてるのは胸のドキドキ

人は子供から大人になって賢くなればなるほど、道に迷ってしまう。

それは、物事を頭だけで考えてしまっているからなのかもしれません。

子供のころにわかりかけてたことが大人になってわからないまま

でも、本当はこどもの時の感覚のままに選択肢を選んでいけば、楽しめるのではないでしょうか。

ワクワクする感情を大事にして。

【追記(2016/7/4)】

「星の王子さま」(著:Antoine de Saint-Exupéry アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)より

おとなは、だれも、はじめは子供だった。しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。

All grown-ups were once children… but only few of them remember it.

子供と大人がいつからか別れてしまったような気がします。

プレゼントを贈りあう習慣を持つことが出来るのは幸せなこと

Opening gifts

by Chris Waits(画像:Creative Commons)




2月14日はバレンタインデー♥️、3月14日はホワイトデー♥️ですね。

プレゼント・ギフトを贈る機会は思えばたくさんあるものですよね。

例えば、誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント、バレンタインデー、ホワイトデー、記念日(結婚記念日、付き合った日など)、お歳暮、お中元、母の日、父の日、敬老の日、快気祝い、内祝い、新築祝い、引っ越し祝い、退職祝い、就職祝い、昇進祝い、還暦祝いなどなど。

贈り物を贈り合う習慣は、会社間でのお中元・お歳暮をしないようにするなど、近年少なくなっている傾向にありますがとても残念に思います。

プレゼントというのは、恋人同士だけでなく、友達や家族、お世話になっている方に日頃の気持ちを伝えられるきっかけの一つです。

そして、プレゼントを贈りあう習慣というのは、自分にプレゼントを贈ることができる余裕があることでもあり、とても幸せであるといえます。

プレゼントを贈ること=自分が今幸せであることを実感できるというイメージが広がっていけばいいですね。







【関連記事】

P.S.

最近では、男性が女性に感謝とともに花を贈る「フラワーバレンタイン」を定着させようとPRを行なっているそうです。

「自分は幸運だ」と思えば、本当に「幸運」になれる確率が高くなる!?

Lucky day

by FromSandToGlass(画像:Creative Commons)




このブログでは、幸せになる方法について定期的に取り上げています。

【関連記事】

今回紹介する記事は、自分が幸運な人間だと信じることは、実際に幸運になるかどうかに大きく影響する可能性があるという興味深い記事です。

「自分は幸運だ」と思えば、本当になれる確率が高くなる。(調査結果)

(2014/6/12、ハフィントン・ポスト)

記事に中で紹介されているのは、ナショナルジオグラフィックの実験。

実験内容は、街にいる人々に、まず自分を幸運かそうでないかを訪ね、次に新聞を渡して新聞に乗っている写真の数を10秒以内に数えることができたら、20ドルの賞金をプレゼントすると伝えるというもの。

すると驚くことに、「幸運」な人々は、「不幸」な人々と比べて、賞金を持ち去る人が3倍多かった。

その秘密は、物事に対処するやり方にあるようだ。実は、新聞の2ページ目に、同番組のホストが写っている写真があり、「7枚の写真を見たとインタビュアーに伝えれば20ドルを差し上げます」と被験者に指示する吹き出しが付いていた。そして、自らを「幸運」だと言う人々は、この吹き出しに気づく確率が高かったのだ。

幸運だという人は、不運という人に比べて、実際においても幸運だというのは面白い結果ですよね。

なぜ幸運だという人は実際においても幸運だと考えられるのでしょうか?

なぜなら、自らを「幸運」だと言う人々とは、予想外の機会や、突然巡ってきたチャンスに対してオープンであり、それらを進んで受け入れるタイプの人たちだからだ。

幸運だという人は、偶然やチャンスに対して、「そんな偶然やチャンスがあるわけない」と思うことなく、 進んでそれを受け入れる考えであるようです。

ワイズマン氏は、自身の著書『運のいい人の法則』の中で、「幸運な人々は、人生において新しい体験を進んで受け入れる。(中略)彼らは慣習に縛られることが少なく、予想外のことが起こりそうな雰囲気を好む」と述べている。同氏はまた、自分を幸運だと考える人は、人生のあらゆる側面で幸せをみつける(逆に、自分を不運だと考える人は、人生のあらゆる側面で不運さをみつける)とも指摘している。

運のいい人の法則 (角川文庫)

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ここからは想像ですが、幸運だという人も、不運だという人も、同じくらい幸運と不運があるのだと思うのですが、幸運な人はそのようなことから幸運なことにできるだけ目を向け、そして不運な人は不運なことに目を向けているのではないでしょうか。

要するに、何にフォーカスをしているか、ということです。

今自分が見ている風景は、自分の心を投影しているという話を聞いたことがあります。

幸せな人は自分の心が幸せだからこそ幸せなことに目を向けやすいのでしょう。

あなたがもし幸運な人になりたいならば、自分がいかに恵まれているかを考えてみるとよいのではないでしょうか。







P.S.

日本に生まれていること自体で、すごく幸運なことだと思っています。