Xを見ていると、とても興味深い議論がありました。
福岡県久山町で長期間行われている「久山町研究」について、
久山町では糖尿病予防のために従来型の糖尿病食を指導したにもかかわらず、糖尿病が増えた。つまり、高糖質・低脂質の日本食では糖尿病を防げないのではないか。
という意見がある一方、
まったく逆で、久山町では食生活の変化や肥満などが糖尿病増加の背景として考えられる。伝統的な日本食が原因だったわけではない。
という意見もあります。
不思議なのは、どちらも「久山町研究」を根拠として挙げていることです。
いったい、どちらが正しいのでしょうか。
久山町研究の論文や資料を確認していくと、この問題は「糖質制限か、日本食か」という単純な話ではありません。
むしろ、
「研究で実際に確認された事実」と「その事実を説明するための仮説」を分けて考えることが大切
だということがよく分かる事例でした。
■まず「久山町研究」とは?
久山町研究は、福岡県久山町の地域住民を対象に1961年から続けられている疫学研究です[1,2]。
久山町研究の公式資料によると、40歳以上を対象に複数のコホートが設定され、その後の健康状態について継続的な追跡が行われています[1,2]。
そのため、「日本人にどのような病気が起こっているのか」「どのような要因と病気が関連しているのか」を長期間検討するうえで重要な疫学研究です。
糖尿病についても、非常に興味深い調査が行われています。
■1988年から2002年に糖尿病は増えていた
ここは今回の議論の出発点です。
久山町の40~79歳の地域住民を対象とした1988年と2002年の調査では、75g経口糖負荷試験(OGTT)によって耐糖能が評価されています[3,4]。
その結果、糖尿病の頻度は、
男性:15.0% → 23.6%
女性:9.9% → 13.4%
へ上昇していました[3]。
また、その後に1988年、2002年、2007年、2012年の4回の調査を比較した研究でも、1988年から2002年にかけて2型糖尿病の年齢調整有病率が男女とも有意に増加したことが報告されています[4]。
したがって、
「1988年から2002年にかけて久山町で糖尿病有病率が上昇した」
というところまでは、研究結果として言えることです。
問題はここからです。
なぜ糖尿病が増えたのでしょうか?
■「糖尿病が増えた」と「○○が糖尿病を増やした」は違う
ここが今回の議論で最も重要なポイントです。
研究で観察されたのは、
1988年より2002年のほうが糖尿病の割合が高かった
という現象です[3,4]。
ところが、ここから、
高糖質・低脂質の食事指導が行われた
↓
それでも糖尿病が増えた
↓
高糖質・低脂質食が糖尿病を増やした
と考えると、一つ重要な段階が抜け落ちています。
「一緒に起きたこと」と「それが原因だったこと」は同じではないからです。
■「町全体を使った高糖質食の介入試験」ではない
久山町研究そのものは長年にわたる貴重な疫学研究ですが、1988年と2002年の糖尿病有病率の比較を、
「高糖質・低脂質食の効果を調べた14年間の食事介入試験」
と捉えるのは適切ではありません。
1988年、2002年、2007年、2012年の糖尿病有病率を調べた論文では、4回の横断調査を使って時代的推移を分析しています[4]。
つまり、このデータから確認できるのは、異なる時点で調査された久山町住民の糖尿病有病率がどのように変化したかです。
そのため、この比較だけから、
「住民が14年間、糖質50~60%の食生活を守り続け、その結果として糖尿病になった」
とは言えません。
ここはかなり重要です。
「食事指導が行われていた地域で糖尿病が増えた」という話と、「その食事指導によって糖尿病が増えた」という因果関係は別の問題です。
■久山町の実際の食生活も変化していた
では、久山町住民はずっと「昔ながらの日本食」を食べ続けていたのでしょうか。
久山町研究の栄養調査を見ると、そう単純でもありません。
文献[3]には、久山町住民の三大栄養素のエネルギー比などについて、次のデータが掲載されています。
年 炭水化物エネルギー比 脂質エネルギー比 動物性脂質比1965 68.6% 15.6% 29.9%
1985 55.9% 25.4% 42.3%
1994 54.2% 26.2% 41.2%
2004 57.2% 24.5% 47.5%
[3]
長期的に見ると、1965年から1985年にかけて炭水化物エネルギー比は68.6%から55.9%へ低下し、脂質エネルギー比は15.6%から25.4%へ上昇しています。また、動物性脂質比も1965年の29.9%から2004年には47.5%となっています[3]。
したがって、
「久山町住民は昔ながらの高炭水化物・低脂質食をずっと維持し、その結果として糖尿病が増えた」
と単純に説明することは難しいでしょう。
ただし、逆方向にも注意が必要です。
この栄養摂取状況の変化だけを見て、
「食生活が変化したから糖尿病が増えた」
と因果関係まで断定することもできません。
食生活が変化したという観察結果と、それが糖尿病増加の原因だったという結論も、やはり別だからです。
■実は2002年以降、糖尿病は増え続けていない
ここは「久山町の悲劇」というストーリーだけを読むと見落としやすい部分です。
その後、久山町研究では1988年、2002年、2007年、2012年の4回の調査が比較されています[4]。
OGTTで評価した2型糖尿病の年齢調整有病率は、
1988~2002年:男女とも有意に増加
2002~2012年:男性では有意な増加なし
2002~2012年:女性では統計学的に有意ではないものの減少傾向
でした[4]。
さらに前糖尿病については、男性では1988年から2002年に増加した後、2002年から2012年には有意に低下しました。女性も同じようなパターンでしたが、統計学的有意差には至りませんでした[4]。
つまり、
「久山町では糖尿病が増え続けた」
という表現も正確ではありません。
正確には、
1988年から2002年に糖尿病有病率が大きく上昇し、その後はOGTTで評価した有病率のさらなる上昇は確認されなかった
ということになります[4]。
■では、研究者自身は何に注目したのか?
1988~2012年の研究で研究者が注目した要因の一つがBMIです。
特に、高齢者では1988年から2002年にBMIが大きく上昇した年齢層と、糖尿病有病率の上昇がみられた年齢層に対応するパターンがありました[4]。
論文では、BMIの時代的変化が2型糖尿病有病率の推移に寄与した可能性があり、肥満の管理が糖尿病有病率を低下させるうえで重要である可能性を指摘しています[4]。
ただし、ここにも注意が必要です。
研究者は、
「肥満だけが糖尿病増加の原因だった」
と証明したわけではありません。
あくまで、BMIの変化が糖尿病有病率の時代的推移に寄与した可能性を示していると考えるのが適切でしょう[4]。
■食事そのものを調べた別の久山町研究もある
久山町研究には、食事と耐糖能異常の発症を前向きに調べた研究もあります[5]。
1988年に正常耐糖能だった40~74歳の1,075人を1993~1994年まで追跡し、食事要因とIGT・糖尿病の発症との関連を調べました。
追跡期間中、
119人がIGTを発症
24人が糖尿病を発症
しました[5]。
多変量解析では、男性ではベースライン時の飲酒量、女性では追跡期間中のP/S比(多価不飽和脂肪酸/飽和脂肪酸比)の低下が耐糖能異常と関連していました[5]。
少なくとも、この研究の結論も、
「炭水化物を多く摂ったため糖尿病になった」
というものではありません[5]。
もちろん、この研究も観察研究なので、特定の栄養素だけが糖尿病の唯一の原因だったと証明するものではありません。
■ではなぜ「久山町の悲劇」という話になるのか?
実は、「糖尿病、久山町の悲劇と糖質制限法」というタイトルの2017年の総説があります[6]。
この総説では、
従来の糖尿病食では糖尿病発症を予防できないことが久山町研究で示された
という立場から久山町研究が論じられています[6]。
ここで重要なのは、久山町研究で観察された事実と、その事実をどう解釈するかを分けることです。
整理すると、
久山町研究から比較的明確に言えること
・1988年から2002年に糖尿病有病率が上昇した[3,4]
・2002年以降はOGTTで評価した2型糖尿病有病率のさらなる増加は確認されなかった[4]
・久山町住民の栄養摂取状況は長期的に変化していた[3]
・糖尿病有病率とBMIの時代的変化に対応する部分がみられ、研究者はBMIが寄与した可能性を指摘した[4]
・食事を前向きに調べた別の研究では、男性の飲酒、女性のP/S比低下と耐糖能異常との関連が報告された[5]
ここまでは研究から確認できることです。
ここから先は「解釈・仮説」
一方、
高糖質・低脂質食を食べたから糖尿病が増えた
というのは、久山町の糖尿病増加という現象を説明しようとする一つの解釈です。
逆に、
日本食から食生活が変化したから糖尿病が増えた
という説明についても、それを単独の原因として断定するなら、研究で直接証明された事実とは区別する必要があります。
さらに、
厚生労働省が推奨するPFCバランスが糖尿病を増やしている
というところまで広げることは、今回確認した久山町研究の結果から直接導くことはできません。
大切なのは「事実 → 仮説 → 検証」を飛ばさないこと
疫学研究を読むときには、
事実
↓
原因についての仮説
↓
その仮説を検証する研究
を区別することが大切です。
今回なら、
事実
1988~2002年に久山町で糖尿病有病率が上昇した[3,4]。
■そこから考えられる仮説
仮説A
食事の栄養素構成が影響したのではないか。
仮説B
肥満・BMIの上昇が影響したのではないか。
仮説C
食生活を含む生活習慣の時代的変化が影響したのではないか。
このように仮説を立てること自体に問題はありません。
むしろ、観察された現象について仮説を立て、その仮説を別の研究によって検証することが科学では重要です。
問題になるのは、
「自分の仮説と研究結果が矛盾しない」
ことを、
「研究によって自分の仮説が証明された」
と置き換えてしまうことです。
■同じ研究からなぜ正反対の結論が生まれるのか?
今回のX上の議論を見ていて興味深いのは、ここだと思います。
「1988~2002年に久山町で糖尿病が増えた」
という出発点は同じです[3,4]。
ところが、その原因を、
「従来型の高糖質・低脂質食だった」
と考えれば、
「従来型糖尿病食では糖尿病を予防できなかった」
という話になります[6]。
一方、
「肥満や食生活など生活習慣の変化だった」
と考えれば、
まったく違ったストーリーになります。
つまり、同じデータを見ていても「事実」と「原因についての仮説」を一緒にしてしまうと、正反対の結論まで作れてしまうわけです。
だからこそ、
「その研究で本当に確認されたことは何なのか?」
「どこから先が研究者や投稿者による解釈なのか?」
を切り分けて読む必要があります。
■まとめ
久山町研究から、
「伝統的な日本食を続けると糖尿病になる」
と結論づけることは難しいでしょう。
一方で、
「伝統的な日本食なら糖尿病にならない」
と結論づけることもできません。
研究から比較的明確に確認できるのは、1988年から2002年に久山町で糖尿病有病率が上昇したことです[3,4]。
その後の研究では2002年以降のさらなる増加は確認されず、BMIの時代的変化が糖尿病有病率の推移に寄与した可能性なども指摘されています[4]。
そして今回の議論で最も大切なのは、
研究で確認された「事実」と、その事実を説明するための「仮説」は別である
ということではないでしょうか。
研究結果を読むとき、
「この研究で直接確認されたのはどこまで?」
「ここから先はデータなのか、それとも解釈なのか?」
と一度立ち止まる。
それだけでも、SNSで正反対の主張を見たときに、研究をかなり冷静に読み解けるようになるのではないでしょうか。
【参考文献・資料】
[1]九州大学大学院医学研究院「久山町研究」
久山町研究の公式サイトです。福岡県久山町の地域住民を対象として60年以上にわたり生活習慣病などの疫学調査を行っており、健診受診率、剖検率、追跡率が世界トップレベルであることなど、研究の概要を確認できます。
久山町研究公式サイト
[2]九州大学大学院医学研究院 久山町研究「Trends in cardiovascular diseases and diabetes mellitus」
久山町研究の研究デザインを理解するための公式資料です。1961年以降に複数のコホートが設定され、各コホートの追跡率が99%以上であることなどが説明されています。
Hisayama Study公式解説を読む
[3]川村良一、土井康文、清原裕.「4. 久山町研究の結果から」『糖尿病』2008;51(6):477-479.
久山町における糖尿病・耐糖能異常、肥満、栄養摂取状況の時代的変化をまとめた資料です。1988年から2002年の糖尿病有病率について、男性15.0%→23.6%、女性9.9%→13.4%と報告しています。また、1965~2004年の炭水化物・脂質・動物性脂質などの摂取状況の変化も掲載されています。
J-STAGEで論文PDFを見る
[4]Mukai N, Hata J, Hirakawa Y, et al. “Trends in the prevalence of type 2 diabetes and prediabetes in a Japanese community, 1988–2012: the Hisayama Study.” Diabetology International. 2019;10(3):198-205.
1988、2002、2007、2012年の4回の調査を比較した論文です。OGTTによる2型糖尿病の年齢調整有病率は1988~2002年に増加しましたが、その後は男性でほぼ横ばい、女性では非有意の減少傾向でした。研究者はBMIの時代的変化が糖尿病有病率の推移に寄与した可能性を指摘しています。
PMCで全文を読む
[5]Kiyohara Y, Shinohara A, Kato I, et al. “Dietary Factors and Development of Impaired Glucose Tolerance and Diabetes in a General Japanese Population: The Hisayama Study.” Journal of Epidemiology. 2003;13(5):251-258. DOI: 10.2188/jea.13.251.
1988年時点で正常耐糖能だった1,075人を追跡し、食事要因と耐糖能異常・糖尿病発症を調べた研究です。追跡中に119人がIGT、24人が糖尿病を発症し、多変量解析では男性の飲酒量と女性のP/S比低下が耐糖能異常のリスク因子として残りました。
J-STAGEで論文を見る
[6]江部康二.「糖尿病、久山町の悲劇と糖質制限法」『脂質栄養学』2017;26(1).
久山町研究を「従来の糖尿病食では糖尿病発症を予防できなかった」という観点から論じた総説です。今回の記事では、久山町研究そのものの結論ではなく、研究結果に対する一つの解釈として区別して扱う必要があります。
J-STAGEで総説PDFを見る
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「本記事は医療行為の代替ではなく、テレビ・論文・公的資料を一般の生活者向けに噛み砕いたものです」
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この記事は、例えるなら「ばあちゃんの料理教室(ハクライドウ)」という街の中の「ひとつの家」です。
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