「コラム」カテゴリーアーカイブ

「失敗はあなたがチャレンジしている証拠」|”Mistakes are proof that you are trying.”


参考画像:Pinterest




レギーナ・ドゥーガン 「マッハ20のグライダーからハチドリロボットまで」

TED TALKにおいて、DARPA(米国防高等研究計画局)局長レギーナ・ドゥーガン(REGINA DUGAN)は、次の言葉を教えてくれています。

「絶対失敗しないと分かっていたとしたら、どんなことに挑戦しようとするだろう?」

失敗への恐怖を取り除くとき 不可能が突然 可能になるからです

クレマンソーは言っています 「人生は失敗したときに面白くなる 失敗は 自分を越えたというしるしだからだ」

失敗を恐れることなく、チャレンジし続けてきた誰かがいるからこそ、私たちは様々なテクノロジーの恩恵を受けています。

例えば、空飛ぶ飛行機。

当時は鳥をイメージして羽ばたきによって飛ぶ機械を考えていることが動画からわかります。

1895年ケルヴィン卿は空気よりも重い飛行機械は不可能であると断言し、1903年10月空気力学の専門家の間の意見は1千万年後だったら空飛ぶ機械も作れるかもしれないというものだったそうです。

しかし、1千万年後だったら可能といわれていたものが、多くの人が空飛ぶ機械を作ることに何度もチャレンジした結果、1903年12月17日にオーヴィル・ライトは飛行時間はたったの12秒、距離は40メートルですが、飛ぶことに成功しました。

レギーナ・ドゥーガンはそのほかの例として、マッハ20のグライダーやハチドリロボット(ハミングバード)、ヤモリの足の裏の構造を基にしたマジックテープのアイデア、ナノスケールで作ったマシン、発泡スチロールよりも軽い金属で作る車のアイデア、思考で発生する脳の電気パルスの研究(思考でロボットの義手をコントロール)、植物のタバコで作ったワクチン(タバコは何百万回分のワクチンを従来の数ヶ月ではなく数週間で作れる)などの科学者や技術者が取り組んだ興味深い例を紹介してくれています。

これらのものは誰かがやってくれるだろうと思っていてはできなかったものです。

科学者や技術者が既存のものの見方に挑戦し、失敗を恐れず不可能に挑んだからこそ、できたものなのです。

”Mistakes are proof that you are trying.”

「失敗はあなたがチャレンジしている証拠」

失敗したことをくよくよする人もいるのではないでしょうか。

しかし、その失敗を恥じる必要はありません。

あなたは、少なくとも何か一つチャレンジをしているのです。

そもそもそれが失敗とは限りません。

ただ、この方法では成功しないという結果がわかっただけなのであって、失敗ではないのです。

何もチャレンジをしない人はその方法が間違った方法ということさえも分からないのです。

あなたが憧れている人も成功者も最初から憧れた存在であったわけではなく、成功していたわけではないのです。

一つ一つチャレンジをしていって、失敗を積み重ねていった結果、今のステージに上がっていったのです。

今は苦しいかもしれません。

でもきっとこれが笑い話になるときが来るでしょう。

いや笑い話にしないといけません。

笑い話をしているあなたの姿を見て、きっとあなたに憧れる人がでてくることでしょう。

最後に、ニーチェの名言を引用します。

いつか空の飛び方を

知りたいと思っている者は、

まず立ちあがり、

歩き、走り、登り、踊ることを

学ばなければならない。

その過程を飛ばして、

飛ぶことはできないのだ。







世界で最も非言語で生活できる、居心地の良い都市になれば、ロマンチックだ!

Paris - le 29 decembre 2011

by Patrick Nouhailler(画像:Creative Commons)




■世界で最も非言語で生活できる、居心地の良い都市になれば、ロマンチックだ!

グローバル化は、英語化じゃなくて、非言語化!──日本、アジア、そして21世紀

(2013/10/7、GQ)

この間、とあるアジアの国に行った時に、あるアメリカ人が面白いことを言っていた。日本で半年間生活していたのだけど、いっさい日本語がわからなくても、全く生活に困らなかった。今住んでいるこの国だと、この国の言葉がわからないと生活に非常に困るというのだ。

日本の街は、海外の人が日本語をしゃべれなくても生活できるのだそうだ。

その理由は、日本の街は非言語な表現であふれていることが理由に挙げられる。

もしかしたら、日本は、非言語文化が発達していて、それは、世界の中で、非常に、競争力があるかもしれないのだ。歴史を紐解けば、能や、絵巻物語があったし、そして、マンガがある。非常に非言語な文化である。そして、非言語的な文化が世界ではうけている。そう、非言語な表現は、実は日本の強みなのだ。そして、気付いていなかったけれど、非言語な文化が強くあったため、気がついたら、街が、言葉がわからなくても、生活しやすいという非言語な街に発達したのではないかと思う。

現代の流れは、英語公用語化に進んでいたり、外国語を学ぼうという流れになっているが、もしかすると、非言語な表現を特化させた方が街としては住みやすい街になるのかもしれない。

文字をなくすといえば、知的能力が低下するという意見もあるかもしれない。

「アースダイバー」(著:中沢新一)にはこう書かれている。

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今日わたしたちの用いる知的能力の量は過去よりも少ないとも多いとも言えます。それに、昔と全く同種の能力を用いているわけでもありません。たとえば、感覚的知覚の利用は明らかに少なくなっています。

無文字民族は、自分たちの環境と資源の全てについて、途方もなく正確な知識を持っています。

文字を持たない民族が文字を持つ民族よりも知的能力の量が少ないわけではなく、持っている知識の種類が違うのだ。

無文字民族は、自らの周りにある自然に関する知識や感覚的知覚が豊富なのである。

第16回 なんで、誤解していたんだろう?

(2006/1/4、ほぼ日刊イトイ新聞)

あーとかうーとかじゃなくて、
言語も、深いところでは
今と同じ構造を持っているんです。
ボキャブラリーもかなり豊富だったし、
ことに自然界のものや、
動物に関するボキャブラリーは、
ぼくらよりもっと豊かだったと思います。

役に立つ動物や植物についての知識も豊富だし、
社会構造だってかなり発達していました。

縄文時代の人より近代の人のほうが優れているというのは誤解なのだ。

進化論によって、今が一番いいと思いこまされているのかもしれない。

だからこそ、文字にあふれる街を目指すよりも、無文字民族のような言葉を使わないコミュニケーションを中心とした街を目指すというアプローチも面白い。

世界でもっとも非言語で生活できる都市こそが、世界中の人々にとって、とても居心地の良い都市になるならば、猪子寿之さんの言葉を借りれば、

圧倒的にずっと、ずっと、ずっと、ロマンチックだ!!

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P.S.

タモリにとって「言葉」とは何か

(2013/5/7、ガジェット通信)

「どうしても知りたいのは、なぜ、コトバに挑戦したかという一点に尽きる」と迫る松岡に、タモリはこう語った。

「かんたんに言えば、理由はコトバに苦しめられたということでしょう」「何かものを見て、コトバにしたときは、もう知りたいものから離れている」「コトバがあるから、よくものが見えないということがある。文化というのはコトバでしょ。文字というよりコトバです。ものを知るには、コトバでしかないということを何とか打破せんといかんと使命に燃えましてね」(同)

言葉があるからこそ、よく見えないことがある。

言葉をなくすことで、本当のことが見えてくるのかもしれない。

時間の使い方について考えてみよう|『モモ』(ミヒャエル・エンデ)

bastidores head/body

by Fernando Mafra(画像:Creative Commons)




「モモ 時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」(著:ミヒャエル・エンデ)という本を読んだことがありますか?

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私はこの本を読んで感じたのは「時間の使い方」です。

あなたは時間を大事に使っていますか?

このブログから「時間」という切り口で現代人の時間の使い方を抜き出してみたいと思います。

■現代人の時間の使い方

日本の働く女性は世界で一番寝ていないといわれています。

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女子高生はスマホを毎日5.5時間使っているそうです。

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メディアの人は、バズらせることを目指して日々消耗しているようです。

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人は、同僚と会話をする時間よりもスマホに向き合うほうが重要なようです。

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現代人はコミュニケーションを重視しているようで、最も一番向き合っているのは、人ではなく、スマホやPCの画面なのです。

人の話を聞くことで、希望が湧いてきたり、勇気が出たり、悩みが解決したり、自分はこの世で1人しかいない大切な人間だと実感させることができる。

人の話を聞くとはいっても、スマホをチラ見しながらではなく、しっかりと耳を傾けて聴くこと(傾聴)は、その人が大切な人間であるということを実感させてくれます。

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貴重な時間だからこそ、目の前の人とのコミュニケーションを最も大事にしてほしいのです。

■時間の感じ方

だれでも知っている通り、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、時間が止まればいいのにと思ったことは誰しもが経験したことがあると思います。

それと同様に、「まだ5分しか過ぎてないの?」というようなことも経験したことがあるでしょう。

子どもの時には、時間が長く感じていたのに、大人になったら、時の流れが速いと感じることもあるでしょう。

時間の感じ方は、その時々の状況によって変わってきます。

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■時間を人間らしく生きることのために使う

人によっては、時間の効率化を重視するようになり、こんな風な時間の使い方をする人もいるのです。

  • おしゃべりをしない。
  • 家族と時間を過ごさない。
  • 子どもと遊ばない。
  • 友達付き合いをしない。
  • 音楽を聞かない。
  • 読書しない。
  • 動物を飼わない。
  • 恋愛をしない。

人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきた

人は、本来ならば、時間を本当に人間らしく生きるために使うべきなのですが、そうではないことに時間を使ってしまっているのです。

人々は時間を奪われることによって、ほんとうの意味での「生きること」を奪われ、心のなかは貧しくなり、荒廃してゆく。

人間らしく生きることを可能にする時間を失うことによって、私たちの心は次第に貧しくなっていくのです。

ロボット化や自働化によって、仕事が奪われることを心配する人もいるかもしれませんが、本来の目的は、そうすることによって、人間らしく生きることを可能にする時間を増やすことにあると思うのです。

この変化は将来的には起こると思いますが、今でも時間の使い方を変えることはできます。

それは、「人生の時間軸を横に倒す」という考え方です。

※以前ブログで見たのですが、元となる記事が消えてしまっているので、紹介できず、勝手に引用させていただきました。

定年まで仕事をがむしゃらにやって、定年後趣味に生きるという考え方ではなく、その時間軸を横に倒すことで、定年後楽しみたいことを今楽しもうという考え方です。

これはワークライフバランスという考え方というよりも、全てがごちゃ混ぜになっているような感じです。

大きく言えば、東洋的な考え方といえばよいでしょうか。

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あなたの人生を余すことなく楽しんでしまってくださいね。







もっと世界はカラーで溢れていてほしいのだ。

paints

by sayot(画像:Creative Commons)




■もっと世界はカラーで溢れていてほしいのだ。

世界がギスギスしている。

人が隠しておきたいことを、人が嫌がることを、人が傷つくことを、攻める世の中。

人に余裕がなくなってきているのかな。

ちょっとでも人の弱いところを見つけたら、そこを攻撃するようなこころの狭い人が増えているような気がする。

もっと世界にある素晴らしいモノ・コトに目を向けていけたらいいのにな。

自分自身の生活に目を向けて、その生活を少しでも快適にするような、楽しくするような、そんな毎日であれば、もっと世界は笑顔であふれる気がする。

人それぞれにカラー(個性)があるもの。

そのカラーを受け入れられる世界がいい。

もっと世界はカラーで溢れていてほしいのだ。

→ 「白黒つける」時代に生き辛さを感じている方は「グレー」(あいまいさ・矛盾)という考え方を受け入れてみよう

→ 「あなたの正義感は人を傷つけていないか?」と問いかけてみよう!

■大きな夢を描くには、たくさんの絵の具が必要だ!

大きな夢を描きたい人は、たくさんの絵の具が必要だ。

それも1色ではなく、たくさんのいろんな色の絵の具のチューブが。

そうしないと、どんなに大きな夢を描こうにも、さびしい色づかいになってしまうかもしれないからね。

→ 「インクルージョン」という考え方を知れば、あなたの周りの世界はやさしくなる!?







2012年5月26日 @ 11:07

「言語化できないけど心を動かすものが差異を生み出す」|#猪子寿之 さんと #落合陽一 さんの言葉より

Words Cloud 02/01-08/02 2009

by Greek Tweeters(画像:Creative Commons)




■「言語化できないけど心を動かすものが差異を生み出す」|猪子寿之さんと落合陽一さんの言葉より

「2020年、何やってたら楽しそう!?」落合陽一氏と語る未来のクリエイティブ【連載:Tehuのトップクリエイター七番勝負】

(2014/9/30、エンジニアtype)

「ヤバい」っていうのは言語化できないけど、その裏に心を動かす何かがあるっていうことなんですよ。

<中略>

面白い、とか面白くないとかじゃなくて、「やってみたらヤバいものができちゃったんだよね、言語化できないんだけど心が動く」っていうことの方がすごい。

「知の謎はインターネットで解き明かせるか」(Harvard Business Review 2015年7月号)で猪子寿之さんが同じようなことを語っています。

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すごくいいものだということが論理的に説明できないものは再現性が共有されないので、競争の差異を生みやすくなる。

<中略>

感動の再現性が言語化されにくい分野こそ差異を生みやすいのです。

それを伝えるものを人々は「アート」と呼んでいて、アート的な感動を言語で説明しようとするとうまくできないことが、逆にビジネスとしての差異を生む時代が来るんじゃないか。

言葉に出来ないけど、理論立てて言えないけど、何か心が動いてしまうものというのが大事なのだと思います。

最近思っていたのは、ユーザーにとって目の行き届いたサービスやプロダクトが多い一方で、驚くようなものやなんだかわからないけど感動してしまうようなものが生み出されていないんじゃないかということです。

落合陽一さんと猪子寿之さんの言葉を借りるならば、ユーザーの声というのは言語化できるものであり、それでは心が動くようなものは作れないのではないでしょうか。

言語化できないけど心を動かすもの。

そうしたものを生み出す努力をすることがこれからの時代は必要なのだと思います。

「心が揺れたところで決着はもうついていたんだ」(甲本ヒロト)

【追記(2015/9/11)】

総務省も認めた27歳の異能クリエイター・落合陽一「CGに見飽きた現代人を驚かせたい」

(2015/9/10、CINRA.net)

文脈は分からないけれど感動する。原理は分からないけれどすごい。そんなアート作品が増えれば、日常を彩るような新鮮な喜びが、もっと増えると思うんです

つまり、人の心に響くテクノロジーを使った製品やサービスが成功しているんです。感動を与えない製品の価値はなくなり、人の心を動かすことがますます重要になるでしょう。

仕組みはわからないけどすごいということはわかる。

感動するけど言葉では説明できない。

そんなものを追求していくことが大事なのでしょうね。

横尾忠則さんのツイートによれば、絵に集中すると言葉が頭から失われ、絵に言葉がちょっかいを出し始めると考えに支配される、とあります。

落合陽一と考える「AIの活かし方、人の役割」|FUJITSU JOURNAL

標準化の典型例が「言葉」。僕たちがふだん使っている言葉は、実は多様化していた古のものではなく、標準化された近代になって言わば強引に作られた(翻訳された)言葉だというのが僕の考え方です。近代的な言葉でいくら思考していても、近代的人間性を突破するくらいの斬新なアイデアは生まれません。

言葉で思考すると、言葉にできない大事な何かをぽろぽろとこぼしている可能性があり、イメージや映像で思考することによって、標準化された世界を飛び越えることができるかもしれない。

そう考えると、誰かにそのイメージを伝えるときには、アートや映画のようなもので例えることが大事なのではないでしょうか。







P.S.

落書きは、集中力の維持、ひらめき、情報の記憶に役立つ!?

カナダ・バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学で医学部に通うマルヤマ・ミチコさんは、授業を受けている最中にキーワードを書きとめ、その後「その日の落書き」を描いて学習した内容をまとめる。胃液分泌やヘルニアなど授業で学習した内容の絵を描きながら、理解していないところの不足を補うのだという。

このことは、どうしても言語化できないものがあることを示す一例ではないでしょうか。

あることを言葉にしてしまうと、そこからこぼれてしまう何かができてしまうのです。

もしかすると、その人にとっては、そのこぼれてしまう何かにこそ価値があるのかもしれないのです。

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